ポートレート写真のプロ河野英喜に聞く1:
惹き込まれる画作りをする方法

「河野先生、撮りたい表情を引き出すコツはありますか?」

ポートレート写真のプロ河野英喜に聞く1:惹き込まれる画作りをする方法

ポートレート写真のプロ河野英喜に聞く1:
惹き込まれる画作りをする方法

「河野先生、撮りたい表情を引き出すコツはありますか?」

「写真はプリントで完結する。そして、撮影とプリントは直結する」をテーマに、GANREF( https://ganref.jp)の写真愛好家がプロに同行して撮影とプリントのノウハウを学ぶこの企画。今回はポートレートのお話です。案内してくれた写真家は、河野英喜さん。人物を撮りまくり、さまざまな媒体で活躍しているポートレート撮影のプロフェッショナル。今回の取材で見せてくれた背景捌きの感性は、モデルのユリーカさんに「トタンの魔術師!」と驚愕されるほど。まずは、10時間にも及ぶ取材の前半を紹介します。(TEXT:桐生彩希)

河野英喜(こうのひでき)

1968年島根県出身。独学にて写真を習得。1990年有限会社アドフォーカス入社。1992年よりフリーとして23歳で広告・ファッション誌を中心にプロフォトグラファーとしての活動を開始する。その後、女優や俳優、各界のアーティストなどの撮影に携わり、数多くの写真集を手掛ける。出版された写真集・書籍類は150冊を超す。公益社団法人日本写真家協会(JPS)会員。

河野英喜(こうのひでき)
大瀧博人(おおたきひろと)

主に都内でポートレートを撮影し、SNSや展示会で作品を発表している写真愛好家。現在、作品を作るためのプリンターを吟味中。遠出の撮影は初めてと緊張しつつも、静かに闘志を燃やす。
「仲間内でプリントを見せ合うことがあって、そこでプリントの話とかテクニックをよく耳にするので、プロの現場が体験できるこの企画に参加しました」

大瀧博人(おおたきひろと)

(モデル)ユリーカ  https://twitter.com/y_gxit

01今回の撮影地

■静岡県伊豆市修善寺 独鈷の湯(とっこのゆ)周辺

空海が独鈷で岩を打ち、霊泉を湧き出したという修善寺温泉発祥の湯。周囲には竹林や生活感のある家並みがあり、散策しながらの撮影に最適。
参考URL: http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=2376

■静岡県南伊豆町周辺

伊豆半島の先端に位置する、海、町並み、自然、歴史と、さまざまな撮影スポットが点在する映画のセットのような町。時間をかけてゆっくりと回りながら、独自の撮影ポイントを探すのも面白い。
参考URL: https://www.minami-izu.jp/

02作品は撮らない?
ぶらぶら歩きのスナップ撮影

午前11時。最初の撮影地である伊豆の修善寺に到着すると、河野さんは早速撮影に取り掛かります。

よさそうな場所があると、モデルのユリーカさんに立ってもらい、雑談しながらポーズや表情をリクエスト。よくあるポートレート撮影のワンシーンです。

でも、カメラを向けるだけでシャッター音が聞こえてこない。

撮影開始の直後は、このようなシーンを多く見かけたのですが、てっきりシャッターを切るほどの場面ではなかったのだろうと。
河野:まだね、撮ってないんですよ。今のは、「そろそろ撮るよ」っていうのを伝えている。まずは撮影の現場に立ってもらって、モデル本人になんとなく段階を踏ませていく。モチベーションを少しずつ上げてもらう。よい場所があると「ここだ。さあ撮るよ! ハイ、ベストでお願いします‼」って張り切りがちだけど、それだとモデルも笑うに笑えないよね。
河野さんの言葉に、ユリーカさんが微妙な表情で反応します。おそらく、普段の撮影ではそういうことも多いのでしょう。

それからもしばらく、河野さんののんびりとした撮影が続きました。「あ、ごめん」、「ちょっと違った~」などと、プロの現場とは思えないほどにゆるく、遊び感覚でカメラを向けている印象です。
雑談をしながらの軽いスナップ撮影
雑談をしながらの軽いスナップ撮影が続く。今回の撮影は、河野さんが先にユリーカさんを撮り、その後に大瀧さんが写す流れで進行
河野さんは、撮影する前のこの段階こそが重要なのだと教えてくれました。

ポートレート撮影というと、写真家とモデルが初対面で現場に臨むことも少なくありません。プロの写真家ならそれでも乗り切れますが、馴染むための時間があればよりよい表情が引き出せるのも事実だといいます。

これに関しては、モデルのユリーカさんも同意見です。
ユリーカ:撮影が進むほどよくなって、ノッてきたころに終わっちゃうこともあるから。ウォーミングアップの時間は、あったほうがいいです。撮りはじめはやっぱり、緊張しちゃうので。急に「ハイっ、撮ります!」っていうのだとちょっと……。「あぁ、はい」って硬くなってしまう。
「お互いに馴染む」という点では、ひと気のある観光地でのスナップ撮影というのは向いているのかも。

「撮る真似」からはじまって、軽いスナップ、散策しながらの雑談、よさそうなポイントで撮影、という流れを繰り返し、河野さんの撮影は徐々に本格化します。

だからといって本気で作品を撮っている様子はなく、この場はあくまでも「撮影に慣れてもらうためのステージ」。後に作品を撮るために必要な状況を、少しずつユリーカさんに提示しているという印象でした。
撮影は徐々に本格化するも、河野さん的にはまだ作品を撮っていない様子
撮影は徐々に本格化するも、河野さん的にはまだ作品を撮っていない様子。ユリーカさんや、同行する大瀧さんの緊張をほぐす時間として費やしている
もっとも、今回に限っては、ユリーカさんの緊張をほぐすというよりは、スタッフの視線が集まる中で撮影に臨む大瀧さんに必要な時間だったのかもしれません。取材後の感想で、「見られる中で撮るのは緊張しました」と漏らしていたほどですから。

対してユリーカさんはというと、その繊細な雰囲気とは裏腹に、朝イチからテンションMAXの撮影すらこなしそうな豪胆な印象。カメラの前に立つと、スッと雰囲気が一転します。

どちらにしても、この時間があったからこそ、次に訪れる本番の撮影地で、撮り手とモデルが共に最高のパフォーマンスで臨めるというわけです。
撮影の合間、河野さんは三人で雑談の時間を作る
撮影の合間、河野さんは三人で雑談の時間を作る。それもまた、ユリーカさんや大瀧さんが現場に馴染むためには必要な工程のひとつ

03カメラを振る範囲を確認してから
撮影に臨む

修善寺での撮影を終え、移動と昼食を挟んだ3時間後。メインとなる撮影地、南伊豆の漁村に到着です。

大瀧さんも現場に慣れ、積極的に河野さんにアドバイスを乞います。アドバイスを受けては撮り、河野さんの撮影中も周囲や背後からユリーカさんを狙い、自分の撮り方と河野さんのスタイルの違いを見つけ出そうとしている様子です。

河野さん流の撮り方。それは、あらかじめ周囲を広く確認しておくことと教えてくれました。
河野:場所を選ぶときは、ちょっとカメラの振りを変えても背景がそんなに崩れないところを意識してます。そういう背景の中で、本人の表情や身体の向きに合わせてフレーミングを変えていく。だから撮影中は、ファインダーで四隅がなんとなく見えた瞬間からは、あとは本人しか見ていないですね。
河野さんが1つの撮影スポットで費やす時間は、およそ2分。その間、ファインダー越しにモデルと対話をしながらシャッターを切り続けるため、周囲の状況把握は大切なのだと実感。

しかも、今回は主に50mmの単焦点レンズを使っています。人物撮影では定番の85mmより少し広く写るレンズです。
河野さんの撮影機材
河野さんの撮影機材。パナソニック「LUMIX S1R」+「LUMIX S PRO 50mm F1.4」の組み合わせを主に使用。ほかにも、「LUMIX S 24-105mm F4 MACRO O.I.S.」「LUMIX S PRO 70-200mm F2.8 O.I.S.」を用意。撮影はMモードで行っていて、WBは5000Kに固定
LUMIX S1R: https://panasonic.jp/dc/s_series/products/s1r.html
大瀧さんの撮影機材
大瀧さんの撮影機材。カメラはパナソニック「LUMIX S1」。レンズは「LUMIX S PRO 24-70mm F2.8」を中心に、シーンに合わせて「LUMIX S PRO 70-200mm F2.8 O.I.S.」、「LUMIX S PRO 50mm F1.4」を選択
LUMIX S1: https://panasonic.jp/dc/s_series/products/s1.html
ポートレートというと、大きくぼけた背景の中に人物を浮かび上がらせる手法が定番ですが、この取材で撮影した作品には、周囲のリアルな状況を写し込んだカットも少なくありません。生々しい生活感を適度にぼかして薄くしている、とでもいいましょうか。

ちなみに、ポートレートを撮りたくなったら50mmの単焦点がおススメだといいます。
河野:50mmの単焦点レンズは、ちょっと広めに写るので回りを入れやすいし、近くによれば望遠レンズのように背景が大きくぼかせます。それに、ズームレンズよりも明るいので、シャッター速度が稼ぎやすい(=速いシャッター速度で写せる)。A4とかA3の大きなプリントを作る上で、ブレは避けたい要素ですから。
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/200秒)/ISO 100/WB:5000K
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/200秒)/ISO 100/WB:5000K
漁村の路地で河野さんが選ぶ撮影ポイントは、住人の目には「なんでこんなところで撮るの?」と疑問を抱きそうな場所です。上に掲載している写真は道端の物干し竿の横だし、下の写真は寂れた小屋の前。いうなれば、自宅の前や庭先で作品を撮るようなものです。
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F2.0、1/320秒)/ISO 100/WB:5000K
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F2.0、1/320秒)/ISO 100/WB:5000K
現場の様子をお見せすると、下のような場所です。ちなみに、この「寂れた小屋」の前で写した作品の1枚は、ユリーカさんに「マイベスト!」と称賛されるほどのプリントに仕上がりました(後半にそのシーンが登場します)。
物干し竿
寂れた小屋
左が物干し竿、右が寂れた小屋。物干し竿のシーンは、背景+α(物干し竿)で写真を立体的に見せるという河野さんの撮り方が活かされている
実は、物干し竿のシーンは河野さんの撮り方のエッセンスがギュッと詰まったシーンだったのですが、一緒に写していた大瀧さんも、見守っていたスタッフも、撮られているユリーカさんも、誰も気づきませんでした。「物干し竿だね」程度にしか見ていなくて……。

河野さん曰く、ぼけた背景の中でひとを写すだけでは平面的な作品になりがち。だから、それを回避するためにも、顔の周囲のピントの近いところに+αの要素を置き、立体的に見せている、とのこと。

「ボケとモデル」という画一的になりがちなポートレート写真ですが、河野さん流の撮り方を織り交ぜることで、作品のバリエーションが増えます。しかも、たくさんある写真の中で目立ちやすく、印象に残る写り、という感じです。

そんな視覚的な効果を生み出す撮り方が、「顔の周りの+α」なのかも。
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/500秒)/ISO 100/WB:5000K
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/500秒)/ISO 100/WB:5000K

04声が届くからこそよい表情が撮れる

河野さんは、常にユリーカさんの近くで表情やポーズをリクエストします。段差があって離れているシーンや、引いたカットを写しているときでも、自らが歩み寄ってイメージを伝えます。
河野:できるだけ本人に近づいて声をかけるようにしてます。近寄って、また離れてと。遠くから大声で指示を出すと、モデルによっては怒られているように感じることがあるんです。こちらの意図していない感情で受け取られることもある。それを避ける上でも、なるべく近づいて、普通にお話をしてあげたほうが、より意図が正確に伝わるんじゃないかなと思うんです。
ユリーカ:大声で叫ぶなら、離れる前に説明してもらいたいとは思います。ちなみに、モデルとして私が気にしているのは、集中し過ぎて返事をし忘れることなんですけど。カメラマンさん的には、「はい、分かりました」っていってもらったほうがいいですか?
河野:いいのいいの、リアクションがあれば。声をかけて何か動きがあると、聞こえたんだなって分かるから。困るのはポーズが変わらないこと。そうなるとね、悩むのよ。指示が嫌だったのかなって。どうしても撮りたいからと同じ指示を繰り返す人もいるかもしれないけど、強要することで表情が曇るかもしれないし。だったら、聞こえたのかやりたくないのか分からないけど、意図した動きにならなかったときは、ぜんぜん違うことを言った方がいい。それで動いてくれれば、どんどん撮影が続けられるんで。
駐車場脇の堤防で望遠レンズを使い撮影
駐車場脇の堤防で望遠レンズを使い撮影。この距離となるとさすがに声を張り上げて指示を出すが、潮騒でユリーカさんが気づかないことも。そんなときは、撮影が停滞しないように次々と指示を変えていく
今回の取材は時間に余裕があったため、撮影の合間に写真家とモデルが集まって雑談をするシーンがよくありました。たいていは、作品づくりの意図を伝える場になっていたのですが、撮られる側からの声が聞けたのも大きな収穫です。

ポートレート撮影は、ネイチャーやスナップと異なり、テクニックよりも「モデルとの対話」が重要と感じました。いかにしてモデルのやる気や表情を引き出すか。撮影のテクニックがあっても、これをおろそかにするとよい写真は撮れないのだなと。
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/125秒)/ISO 3200/WB:5000K
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/125秒)/ISO 3200/WB:5000K
河野:撮る前の準備って大事。とくにロケハンって重要なの。初めての場所は、1日、ときには2日かけて見て回ったりして。コンビニとかトイレの位置とか、いろんなことをリサーチする。「トイレ」っていわれたときに、すぐに案内できる状態にしておかないと撮影が長く中断しちゃうので。モデルの機嫌が悪くなることもあるし。もしかしたら、撮るスポットよりも、周辺情報のほうが大切かもしれない。
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/200秒)/ISO 1600/WB:5000K
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.4、1/200秒)/ISO 1600/WB:5000K
日が沈むまで初日の撮影は続く
日が沈むまで初日の撮影は続く。この夕日の海岸で写した写真が、河野さんのベストショットとなる(後半を参照)

05海辺の撮影で真似たいこと

翌朝は、海辺の撮影から始まります。「馴染むための時間」は不要なので、撮る側も撮られる側も、朝イチから全力で臨みます。

海辺の撮影で河野さんが教えてくれたテクニック、それは「水平線の処理」です。
河野:水平線の位置を構図的にいちばんいいところに置くと、モデルの首の付近にくるのよ。首切りみたいなカットになるから、それはダメ。だから、あえて水平線の位置が若干頭の上にくるようにしている。
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.6、1/1600秒)/ISO 100/WB:5000K
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.6、1/1600秒)/ISO 100/WB:5000K
いわれて気づいたのですが、水平線の位置はとても重要。首を切るような位置だけでなく、顔に重なっていても目障りに感じてしまいます。

改めて河野さんの写真を拝見すると、水平線だけでなく、山並みや背景に写っている直線的な濃い陰など、区切りとなるような「線」を連想するものは、「首や顔の中央」から外れた位置に配置してありました。

そして撮影も大詰めのころ、「物干し竿」のシーンと類似した状況に出合います。もちろん、このときも河野さんの作画意図には気づかず、「枝だね」程度に撮影の状況を見守っていたのですが。

前述のとおり、「ぼけた背景+顔の周囲の枝」で立体感を作り出しているというわけです。
実はこの写真にはさらなる仕掛けがあって、のちのち話題になるのですが……。(後半に続く)
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.6、1/500秒)/ISO 100/WB:5000K
LUMIX S1R/LUMIX S PRO 50mm F1.4/Mモード(F1.6、1/500秒)/ISO 100/WB:5000K

今回の記事で使用したプリンターはこちら