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1964年に国立公園に指定され半島の60%を特別保護地区として、徹底した自然保護のもとに豊かな生態系と原始の状態を守りつづけてきた知床。世界遺産への登録を推薦され実現すれば屋久島、白神山地に次いで日本三番目の自然遺産となります。流氷が豊富に育むプランクトンや多種類の養分がさまざまな生命体の源となり、海陸が一体化し理想的な相互関係を結びながら時を経てきたこの半島では、絶滅寸前の稀少な野鳥が自由にあるべき姿を謳歌しています。理想的な食物連鎖を維持する知床の海岸は、多く絶壁を成し鳥以外の生物には近寄ることが難しいため、オオワシやオジロワシなど珍しい鳥たちの子孫が育ちやすいという条件が備わっていることもその一因です。大形の魚を狙ってつかみかかる生来の気質は顔だちに表れ、広げると2メートルにも及ぶゆうゆうとした風貌は貫禄と畏怖に満ちています。また、原生林に棲息するシマフクロウは、アイヌから「コタンクルカムイ(村を守る神)」と呼ばれ崇拝されてきた鳥で、川や海岸の魚に向かって豊かな翼を広げ音もなく舞い降り魚を脚指でつかみとるという習性を持っています。獲物をとらえるときのシマフクロウの黄色く丸い瞳は獰猛に輝きその姿は壮絶な自然のありようを体現しているかに見えます。野鳥写真家にとって彼らの生態をとらえることはひとつの大きな目標ともいわれています。
畠山氏は自らの撮影の状況についてこのように語ります。「私は機材をセッティングして鳥たちを無心に待つだけです。そうするうちになぜか彼らは威嚇をやめ警戒を解き傍に舞い降りてくるのです。その瞬間に向けて私はシャッターを切るだけです」。その言葉は、写真の中で野鳥たちがありのままの素顔を、まるで撮られることを楽しむかのように曝している事実に裏付けられています。常に笑顔を浮かべ愉し気に語られる畠山氏の体験談から推察されること。それは、自意識に支配されることなく気配を消し自然と同化するという、人が生き物として根源的に持っていながら文明社会の中で日々すり減らさざるを得ないでいる能力を、氏は生と死の狭間を彷徨うことで体内に蘇らせたのではないか、という人智を超えた部分に行き着きます。あるいは氏の野鳥を愛する気持ちがアイヌたちが「地の果て」と呼んだ知床の清澄なはりつめた空気の中では伝播しやすいのかもしれませんが、いずれにしろ、氏がファインダーにおさめた瞬間は、多くの野鳥を追い求める写真愛好者たちにとっては垂涎のときではないかと思われます。
このたび、エプサイトで催される畠山氏の写真展において、展示される作品には、以下の野鳥(すべて天然記念物に指定)たちの素顔が収められています。
●オオワシ
黒と白で彩られた美しい翼と、鋭い黄色の嘴を持つ海ワシ。現在、世界中で6000~7000羽しか生息していないと言われる。知床は世界最大の越冬地。
●オジロワシ
褐色の堂々たる体躯と淡い黄色の尖った嘴。海岸に近い大木の枝に皿型の巣をつくり、3月下旬 1~2個卵を生む。オジロワシの繁殖率の高さは自然の豊かさの証と言われている。
●クマゲラ
成鳥の体長50センチ、大型のキツツキ類。黒い体に頭頂部の鮮やかな赤がひときわ映える。アイヌ語で「チプタ・チカップ(舟を掘る鳥)」と呼ばれていた。嘴で木の幹に巣孔を掘り雛を育てる。
●シマフクロウ
知床を中心として北海道の原生林に約120羽が生息しているといわれるが、世界中に1000羽程度しか残っていないとの統計もあり、絶滅の危機に瀕している。産毛に覆われた雛の健気な姿は非常に可愛らしい。
■畠山栄 Sakae Hatakeyama
会場では、撮影された野生の鳥たちの迫力ある姿を、33点の展示作品としてご覧いただけます。
展覧会場のコーナーで、畠山栄氏の作品をエプソン製品で制作するプロセスをご紹介しています。
四季の織り成す光と言葉の絵筆ー季語に映る自然の色彩
写真 小林義明・高橋真澄
日本の四季のうつろいは、アジアのモンスーン気候独特の多様な変化をもたらし、人々の生活様式に密接な影響を与えています。日本人の祖先たちは、自然を畏怖し自然と語らい自然の滋養を願いながら、季節がもたらす環境の変容を身体的に受け止めると同時に視覚的に愉しむ工夫を続けてきました。自然破壊や都市化が進み自然を体感するために旅などの特殊な手順をふまえる必要性が増し、自然という大きな生命体の循環システムの異常が徐々に深刻なものになりつつある現代において、一方では、有限の生命を生きる人間が悠久の自然の本来的な永遠性から得られる影響力は、より繊細で貴重なものとなりつつあるといえます。
視覚的な美と色の変遷を見据え、微妙な風の変化を香りとして体感するなど自然と向き合うさまざまな行為を通して、人々はより大きな存在とコンタクトするための道標を求め、神秘に包まれた自然変化の概念を表現の磁場に導き入れようと試みてきたのです。
人々の暮しに侵み通り磨きあげられてきた視線と言葉。それらは無限の生命システムにおける自己の存在を再確認するためのツールとして活かされ続けてきました。俳諧連歌に端を発し、俳句と称されて慣れ親しんだ五七五の定型詩に織り込まれた季語には、読み手の心象に訴えてさまざまな形や色として脳裏に像を結ばせる作用を有してきました。本展覧会では季語から連想される色が日本の自然美と結びつき、豊かなイメージとして浮かび上がる様をインクジェットによる写真としてご覧頂きます。
42首の俳句のひとつ、ひとつに対応した写真家の作品との結合。
[高橋真澄氏:24点、小林義明氏18点]
小檜山賢二写真展 MICRO PRESENCE 昆虫 ミクロ・リアリズム
【同時開催】MACRO PRESENCE 永遠なる変容 宇宙へのまなざし
本展示ではMICRO PRESENCE=あまりにも微細で日常正確な形を目でとらえることの困難な存在=と、MACRO PRESENCE=巨大さとその距離ゆえに肉眼では認知できない視覚世界=という二つの対極ともいえる存在をひとつの空間の中でご紹介いたします。 自然界が与えた、美、神秘、機能など複雑にからみあういくつもの要素を知覚することは、新しい感覚を自らの中に再認識する行為につながっていくのではないでしょうか。
未来に向かう第一線のメディア研究に携わる小檜山賢二氏は、一方で、小さな昆虫の姿を拡大しその存在を正確に伝える行為を通して、未知の視覚イメージをわれわれの眼前に提示いたします。そこからたちあらわれる美しさや不思議さなど、見る者により多様にひきだされる感覚は、自然界が与えた微細構造に組み込まれている神秘の深遠への新しい気づきを教えてくれるのです。被写体である昆虫標本をデジタルカメラによりわずかずつ異なる距離をおいて数十カ所から撮影し、得られた画像データのピントの合っている部分だけを合成してつくられた写真には、昆虫の生々しい姿が再現され、その質感のリアリティは見る者の驚きや生理的な反応などを導きだします。
※展覧会会場に設置された大型プロジェクションTV/リビングステーションで、小檜山氏が、今回の展覧会の展示作品の制作コンセプト等を語ったDVD画像が流されています。
■小檜山 賢二 Kenji Kohiyama
小檜山 賢二氏 ホームページへ
「すばる望遠鏡」は、ハワイ島マウナケア山頂に設置された大型光学赤外線望遠鏡です。銀河の誕生・進化や宇宙構造の研究、小天体を観測、すばる主焦点カメラ=4096×2048画素のCCDを10個すきまなく並べることで、8000万画素のデジタルカメラとして機能=などで記録。様々な宇宙の変化は、画像データをプリントし子細に眺めることから読みとられる場合があり、EPSONのインクジェットプリンターが活用されています。天上の美しく豊かな視野を、国立天文台(東京・三鷹)の特別のご協力のもとにご紹介いたします。
杉江弘氏は、現役の国際線機長である。JALの最長飛行時間を更新する中で、一度ならず一触即発の事態に遭遇するものの天性の直感的な危機管理能力で無事に切り抜けた体験など、飛行の安全推進対策に関連する自著を刊行している。それだけでも彼が名物機長と呼ばれるには充分だが、ゆえんはそのことにとどまらない。
11歳の頃、実家にほど近い大阪天王寺駅の陸橋から飽かず関西線のSL(蒸気機関車= Steam Locomotive=の略)を眺め、写真を撮りはじめる。中学生のときから夜行列車やユースホステルに泊まりながら長期の撮影旅行を繰り返していた少年の向かう地は、西は九州から東は東北へと広がっていった。慶応大学法学部に入学するやいなや、現在も当時の仲間たちとの交友が続いているという鉄道研究会に入部。SL熱にさらに拍車がかかる。1969年、JALに入社、二年後には国際線のパイロットとして世界の空を飛ぶようになり、そのSL写真コレクションは地球サイズに広がり、全大陸を網羅していく。名物機長は、鉄道ファン垂涎のシャッターチャンスに恵まれた鉄道写真家として知られるようになるのである。
パイロットとしての経験は、撮影の対象を、SLにとどまらず、世界中の駅、そして航路から見下ろした地球の美しい断面にと広げていき、これまでに自費出版2册を含む7册の写真集にまとめられた。膨大な写真が生まれた背景には、とりもなおさず本人の尽きぬ情熱があり、同時に家族の理解と世界を飛ぶ仕事に従事するという恵まれた環境があった。杉江氏は、ただ少年のときの夢を追いつづけてきただけですよ、と微笑む。それを支えてくれた幸せな人生に感謝している、と。
「今日、子供たちが幼少の頃からの夢や趣味を大人になっても持ち続けられる環境は、ますます少なくなっている。中学生や高校生の頃に、テレビ、コンピュータ・ゲームといった誘惑があふれ、小さな頃に育まれた素朴な心を断ち切ってしまうのだ。私の育った時代は、まだそういった「物」の誘惑も少なく、幼少期に抱いた興味を大人になってもそのまま持ち越すことができたわけだが、私はこの意味でも幸運だったと思う」
杉江氏は少年時代に真剣に汽車の運転士になることを夢に描き、しかしSLが徐々に消え去っていく状況に立会うなかで鉄道をプロとする道を諦めた。本展で展示される作品群は、以来、杉江氏の一生の趣味となった鉄道写真が、さまざまな環境の変化に好意的に見守られながら、発酵を重ねていったことを伝えてくれる。また一方で、多くの若者たちにとり憧れの職業である国際線のパイロットという職に就き一線の活躍を維持する行程で得られた美しい地上の風景は、杉江氏の若かりし頃の夢への追走が、グローバルに遥かな地平を超えていった軌跡をまざまざと描きだすのである。
■杉江弘 Hiroshi Sugie
1969年日本航空入社。DC-8型機長を経て、現在、ジャンボ機(B747型)機長としてオセアニア、東南アジア、中国、米州線に常務。総飛行時間は 17,312時間(2003年12月現在)。2002年10月、機長10,000時間無事故表彰を受ける。主席運行乗務員、安全推進部監査役を歴任。多くの鉄道写真を撮影・発表し、鉄道写真家として知られている。日本エッセイスト・クラブ会員。
主な写真集『ヨーロッパSL鉄道の旅』『アジア・中東・アフリカSL鉄道の旅』『北米・南米・オセアニアSL鉄道の旅』(以上、誠文堂新光社・1998)『世界の駅』(JTB出版・2002)『1万メートルからの地球絶景』(講談社・2003)
The Prize Winners' Achievements Thereafter, 2003
今回ご紹介する5人の女性は、2003年度の各コンテストで上位賞を受賞した方々です。
昨年実施されたこれらのコンテストでは、いずれも女性が最高賞を獲得。写真家を目指す学生(当時)、プロのフォトグラファー、主婦など多彩な経歴を背景に、デジタルを活用しながらそれぞれ個性あふれる作品を制作し、その成果の発表の場としてエプソンの公募展が選択されました。
5 人の中では、ハッセルブラッドで撮影された6×6のポジフィルムをスキャンし複雑な画像処理をほどこして作品を仕上げていく清真美氏(エプソンカラーイメージングコンテスト写真部門 優秀賞)以外の4人が、撮影時にデジタルカメラを使用しています。花や葉を接写し、花弁の色の美しさや表面の水滴をみずみずしい大判プリントに醸成させる浜崎さわこ氏(ネイチャーフォトアワード グランプリ)、自室の窓から空に向けて抜けるような風景を四季折々、さまざまな時間帯に撮りつづけた石橋光子氏(エプソンカラーイメージングコンテスト 審査員賞 佐内正史賞)、犬と暮す生活の愉しさをユニークな3匹のペットの表情豊かな顔面に見出し46態の写真に表現した石田宜子氏(ファミリースナップアワード グランプリ)、そして、受賞作同様淡々と街を歩き心に響いた場面を、屈んだりカメラを傾けたりと、独自の角度から撮りおさえた作品を写真集にまとめ、同時に展覧する樋上朋子氏(エプソン カラーイメージングコンテスト 大賞)。
自らの感じることを伝えたいように表現するためのツールとして、デジタルを有効に介在させることによって、さまざまな視点の在り方と個々の世界が繰り広げられていきました。
本展は、エプソン カラーイメージングコンテスト2004の公募に先駆け、企画されました。新しい作品制作に挑戦している昨年の受賞者の方々の現在をご紹介することにより、時代の空気と個性に富む表現の息吹きを展観いたします。
■樋上朋子 Tomoko Hinoue
「0」
【エプソン カラーイメージングコンテスト2003大賞】
1981年広島県生まれ。現在神奈川県在住。
東京造形大学デザイン学科視覚伝達専攻グラフィックデザインコース卒業。
2002年エプソン カラーイメージングコンテスト 審査員賞 藤原新也賞 受賞。
■清真美 Mami Kiyoshi
「熱帯家族」「新釈肖像写真」
【エプソン カラーイメージングコンテスト2003 優秀賞(写真部門)】
1974年埼玉県生まれ。現在東京都在住。
武蔵野美術大学映像学科卒業。
コマーシャルフォトスタジオを経て現在フリー。
■石橋光子 Mitsuko Ishibashi
「飛行機の飛ぶ家二十色」
【エプソン カラーイメージングコンテスト2003 審査員賞 佐内正史賞】
1976年生まれ。現在福岡県在住。
■浜崎さわこ Sawako Hamasaki
「Joy of Seasons」
【ネイチャーフォトアワード2003 グランプリ】
1956年長崎県生まれ。現在長崎県在住。
1982年写真家栗林慧氏に師事、2000年よりフリーとして活動。
■石田宜子 Nobuko Ishida
「Funny Face」
【ファミリースナップアワード2003 グランプリ】
1957年静岡県生まれ。現在静岡県在住。
オーロラは、おもに北極、南極周辺にめぐるオーロラ・オーバル(オーバルはだ円の意味)を中心に、地上100キロ~400 キロの高空に出現する、美しい波状の光です。大気中に含まれている酸素や窒素などの原子に、太陽から降り注ぐ電子が高速で衝突することにより放たれる光で、多くの場合、赤、青、緑がまざりあった緑白色です。ごくまれに酸素と反応して、真紅の光を発しているものもあり、赤、青によるピンク色のオーロラがとどまることなく形状の変幻を続けていきます。
このオーロラの美しさに魅了され10年以上にわたり、オーロラを撮影しつづけている写真家が、坂本昇久氏です。オーロラ・オーバルの圏内にあるカナダのイエローナイフを1991年に単身訪れて以来、ときには氷点下40℃におよぶ寒さをたえしのぎながら天空に舞うオーロラの姿を追い求めてきました。もっとも明るいときですら1ルクスというオーロラの美しい変容を幅広いラティテュードで写しとるために、より明るい広角レンズ(あるいは魚眼レンズ)を使用し、ときには肉眼では見えない光さえも、フィルムにおさめ鮮やかに再現させています。
本展では、オーロラのたゆまない変化を表現するため、入力時より慎重に制作した階調豊かなインクジェットプリント作品約50点をご紹介いたします。
■坂本昇久 Norihisa Sakamoto
1964年東京生まれ、現在さいたま市在住。91年、オーロラと、自然写真家リロイ=ジンマーマン氏のスライドショーに出会う。以来毎年カナダ・イエローナイフを拠点としながらオーロラの写真を撮影しつづけるために、極北の夜の世界を訪れている。
おもな著書に『オーロラ夜想曲』(大和書房・2003)
『天の衣・夜の破片(かけら)』(大和書房・1998)。
電子と電子とのぶつかり合いでできるオーロラの姿が、デジタルプリンティング技術を駆使し処理され、マット紙に印刷されて再生した。 展示された作品に添えられた坂本氏のメッセージも詩情あふれるもので、氏のオーロラに対する深い思いが伝わってくる。 展示作品に添えられたメッセージの一部を紹介する。
極彩色にペイントされた花々が被写体である。花をキャンバスに、赤、黄、ブルーなどの鮮烈な原色の絵具が塗り重ねられている。ペイントしたのは写真家自身である。
滴るほどに厚く塗り重ねられた赤はぬめぬめとした感触の鮮やかな光沢を放ち、自然が与えた花の造形を、なにか異次元の存在に変換させてしまう。それは血の赤であり唇を被う真紅の紅のようにも見える。
花は、素材として持っていたものをデフォルメするかのようにペイントされていくうちに、美そのものを通り越してなにか別な存在に変貌している。
さらに、花は、接写レンズにより至近距離からクローズアップで撮影されることにより、抽出されたエキスのようなものを強烈に発散させるようになる。
そして、花は、ペイント直後の絵具の乾ききらない生々しさから、時間を経て枯死の匂いが漂うまでを断続的に見据えられ、写真家は、その経緯に向けて何度も執拗なほどにシャッターを切っている。(それは、花々を撮影したポジフィルムが何千点という膨大な点数に上ることから容易に推察できる) なぜ写真家は、すでに自然の色どりに彩色されている花々にさらにペイントをほどこしたのだろうか。 そして、なぜ、その行為の跡を見つめ、花の部分をファインダーからはみ出すほどの近さからとらえ写真に収めたのだろうか。
花はペイントされることによって確実に表面的な変化を遂げていく。色とぬめりと光沢を極度に増した花は、自然界の賜物としての見目を徐々に失っていくのだが、その一方で、それまで見かけ上漂わせるにとどめていた生来の質をすこしずつ浮き上がらせていったのではないだろうか。
それは荒木氏自身がたびたび、写真が本質的に持つテーマとして語るエロス(生)とタナトス(死)ということと深く関わりあっているように思われる。これは花に限ってのことではないのだろう。女にも街にも空にもチロにも、すべての被写体に言えるのは、すべての生には間違いなく死の気配が内包されているということである。それらの被写体が確実に表裏一体にあわせ持っているエロスとタナトス、言い換えれば、獲得と喪失の感覚が同時に封じ込められていることによって、荒木氏の写真からは、言葉の感覚を超えた切なさのようなものが漂いだす。厚く絵具を塗られることにより凝縮されていった強烈な生命性は、壮絶な死を連想させるのである。
荒木氏は、ペイントは花の化粧であるとも語っている。そしてそのようにして見ていくと、これらの花々の写真は、あたかも、華やかな美しさを強調するための化粧(若さ)が、肌の質感の変化にともない変化して最後に死化粧(老い)に至るまでを克明にとらえる生きざまの記録のようにも思われてくる。
本展のテーマを明示していくためには、作品のプリント制作において、これらの花々の写真に対する深い解釈と、花々自身の質感や色彩の再現が非常に重要なポイントとなった。インクジェットプリントは精緻なノズルから噴出されるインクの微細な配置により生成されるという、限りなく絵画に近い製法を経て写真を成立させていく。35ミリのポジフィルムに定着された、ペイントされた花々は、デジタルデータという極小の粒に解体され、そしてそれらのひと粒ひと粒が調整され調合されて新しい画像をつくりあげていく。写真もそれ自体、出来上がるまでに、何度もエロス(生)とタナトス(死)の間を行き交うのである。
会場は、大小130点の作品で埋め尽くされている。
この空間全体に満ち溢れているエネルギーは来館者を圧倒せずにはいない。
その作品ひとつ、ひとつにはエプソンとしてのこだわりが込められている。
それは、自然の花の持つ生命感と人工物である絵の具が混ざり合ってできた質感をエプソンテクノロジーで色彩鮮やかに表現することである。
展覧会では3つのコーナーを設置し、来館者へ作品に関連した情報を提供している。
美術評論家伊藤俊治氏と荒木氏が今回展示の作品について対談している様子を収録した画像をエプソン製リアプロジェクタで上映しているコーナー
荒木氏がエプソンのデジタルカメラL400を携帯し、撮影した画像をプリントアウトした作品とそのプロセスを紹介したミニコーナー
市販の荒木氏の作品集(DVD)であるアラキネマをエプソン製のプロジェクタで上映しているコーナー
富士山は日本最高峰の山でありその美しい姿形をたたえられ、日本人の精神的支柱として自然界の覇王として、象徴的に語り継がれてきた存在である。背に太陽の光を受けて屹立する姿の神々しさは深い自然の神秘をまとい、古来、霊的な存在として崇高な力を放ってきた。
さまざまな伝説の主であるばかりでなく、多くの写真家たちにとって、富士の時々刻々と変貌を続ける華麗な姿は魅力的な被写体であり続けている。四季のうつろいのすべてを普遍的な美に集約させるその偉大ともいえる求心力は、常に人々の視線を魅きつけてやまない。しかしながら、富士は、見る者に平等にその勇姿を惜し気もなくさらす憧憬の的である一方、樹海という奥深い森に包まれ多くの登山者を死に導く自然の脅威に包まれた山であり、同時に、気まぐれにその姿態を変化させる非常にむずかしい被写体でもある。
大山行男氏は一貫して富士山を見据え、ファインダーにおさめ続けてきた写真家である。住まいを山梨県の上九一色村に移し、大きな窓から常に富士の変容を観察し、風の方向や雨の気配に鋭敏に反応して動物的ともいえる嗅覚に導かれるまま移動を行いつつ、撮影地点を選びだし、時間の推移を本能的に計算しながら、だれも知らない富士のありようをフィルムにおさめる。撮ることのために生きる多くの時間を費やし、樹海に分け入ることを畏れず、少年のような初々しい心で旅におもむき未踏のシャッターチャンスに挑む。富士に憑かれたようにして、あらゆる角度から、富士を見つめ続けてきた。
そのようにして、日々生み出されていくポジフィルムの数はとどまることを知らない。膨大に蓄積されていく作品群は、ある種宗教的なカリスマ性を帯びて、人々の前に供されてきた。作品には35ミリ一眼レフ、4×5、そしてここ数年は、永年の経験が培ってきた必要な機能性を分かつ技術者とともにつくりあげた8 ×10カメラが使用されている。
今回エプサイトでの展覧会を前に初めてインクジェットプリントと遭遇することになった大山氏は、40点を超える展示作品のほとんどを未発表の8×10ポジフィルムから選びだした。顔料インクとマット紙を用いB0サイズを主体とする大判プリントに引き伸ばされた作品の粒状性は滑らかで、伝統的な日本画の優雅さを彷佛とさせている。かくも美麗に瞬間を切り取られて尚、悠然と姿態を曝す富士の雄々しさと懐の深さ大きさを前にして、観る者は生命の空洞を自身の無常と重ね合わせる。そして、無とは限りない生命の可能性を内包しすべてを有することと同義であることを思い知るのである。
■大山行男 Yukio Ohyama