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本展では、ふたりの写真家の異なる方法論を見据えることにより、日常が生に投げかける光と影を直視していきます。原氏の6×6、田中氏の6×7のカラーネガフィルムから生み出された画面には、「今風」という言葉を連想させる色合いや構図が感じられるかもしれません。しかし、そういった既成の範疇から溢れ出す、自己と他者の距離をまさぐる激しい葛藤が残す濃い余韻は、これまでになく強靭な輪郭を描きだしていくことでしょう。
©原美樹子
喧噪のなか、こめかみでどくどくと脈打ち響く自らの心音のようなノイズを強烈に現前させ、自己と他者の間によこたわる永遠に越えられない謎の奥行きを直視する原氏。彼女のストレートな視線には、遠い日の記憶の網目が縫いこまれています。
故郷の浜を歩いていました。
前の晩の嵐は過ぎ去り 空も波も穏やかなのに
浜に打ち上げられた漂流物の夥しさが
気持ちを ざわつかせていました。
子供を追いかけているうちに ただならぬ臭気に満ちた辺りにいました。
ふと目を凝らすと 四足の屍が横たわっていました。
見なければいけないと思う気持ちと
見てはいけないと思う気持ちが
瞬時に激しくせめぎあっていました。
泥の河に足をとられたかのように動けません。
子供は屍に気付くことなくずんずんと先へ進んでいきます。
子供の背中を頼りにようやく歩を進めました。
遠くで子供のことを大切に思ってくれていた人の訃報を耳にしたのは
それから しばらくしての事でした。
原美樹子
©田中哲郎
圧倒的な静謐さに満たされる情景と対峙しつつ、足下がすくわれそうになるほどの孤独の迷路にリアリティを直観し、独自のメロディというある種の秩序のなかにものいわぬ対象の存在を織りこんでいこうと模索する田中氏。
もの言わぬ木々たちの風景に心を打たれ旅を続けた。
言葉もない移動手段も持たない風景たちを眼の前にして、
彼らの強い生命力やメッセージをはっきりと感じる事が出来た。
それでも言葉で考え、移動する事も止められない自分に対する葛藤は捨てられないが、
そんな風景たちが遠い所にももちろんあるが日常のすぐそばにも少なからず息づいている事に気付いた。
それを思うと自分もこの日常を必死で生きていこうと思った。
田中哲郎
©荒木経惟
数百年もの間、時代の変化をしなやかに受け止めながら、たたずむ飛雲閣。そこここに繊細な構造を持つその建造物は、自然や環境と調和し、安らぎとよろこびを人々に与え続けてきました。本願寺の中に在し、その貴重性ゆえに特別の機会にのみ一般公開されている飛雲閣は、隆起のある庭園と池に臨む三層柿葺の楼閣です。元和年間(1615-1623)に聚楽第から移築されたと伝えられていますが、確実な資料はありません。しかし、秀吉が自らの夢を実現したと言われる迎賓館としての聚楽第の面影は、細部の工夫や建物が身にまとう風情の中に残されています。
独特の建築様式で成立するこの飛雲閣の春夏秋冬を、日本の写真界の第一線を疾走する鬼才、荒木経惟氏が撮り下ろしました。荒木氏の独特な眼差しは四季の移り変わりのなかに多彩な趣きを漂わせる日本の精神性を代表する建築を、背後に広がる宇宙とともに清冽にとらえています。艶やかさ、ふくよかさ、柔らかさやふくらみを思わせるアンバランスのバランスに満たされたプロポーション。荒木氏の眼は、飛雲閣がたゆたわせる情感と感応しつつ、あたかもポートレートを撮るように、建物がかいま見せる表情豊かな存在感を、千変万化する雲の群れのような趣きを、さまざまな方向から見据えています。
金閣寺、銀閣寺と並ぶ京の三名閣に数えられ、変化に富んだ左右非対称の形状ながら巧みな調和を醸し出す飛雲閣は、いつの時代にも訪れた人々を魅了してやまない不思議な魅力をたたえています。飛雲閣の建つ庭園、滴翠園には、秀吉が接待に使用していたといわれる蒸し風呂「黄鶴台」や茶室「澆花亭」、一個の大石から切り取られてできた「龍背橋」など、人のぬくもりを感じさせる歴史的に重要なものが多く現存しています。
荒木氏は、これらの対象と1年以上5回の撮影を通して向き合い、その都度、光や温度や状況によって表情を異にする出会いに写情をインスパイアされ、新緑や紅葉、夜明け、月夜、そして雪化粧という多様な環境下、微妙に揺れ動く空気と時間を写真に封じ込めつつ流麗なものがたりを紡ぎ出していったのです。
展覧会場の荒木氏
地球上にはさまざまな生命体がひしめき合い、与えられた命を精一杯に生き抜いています。遺伝子を本能的に種の間で受け継がせていこうという無意識の役割を果たし、食物連鎖の流れの中で生死を賭した駆け引きが日々行なわれ、種の異なる生物たちが互いの共存を有為に運ぶために不可思議な関係性を結びます。生命体に組み込まれた神秘は自然界からの需要に呼応しながら、淡々と営みを続けているのです。
こういった状況のすべてが人間の目にあきらかに映る機会は頻繁とはいえないために、長い時の流れがもたらす環境の変化を受け止める未知の構造に対するわれわれのイマジネーションをより一層募らせることになります。今回ご紹介する3人のクリエイターたちは、それぞれの視点や興味に基づき創造の対象を自然界に求め、さまざまな手法や捉え方を通してデジタルと結合させることによって、あふれだすイメージの愉楽の波間を自在に遊泳しているかのように見えます。モニター上に集積される多種多様な情報と素材が、すべてを認識することの不可能な自然界に棲息する生きものたちの構造に向かう視野を基盤としながら、幾重にも連環しつつ一枚の作品という物語へと構築されていくのです。
■荒木克己 Katsumi Araki
1947年兵庫県生まれ/現在京都府在住
映像カメラマン。企業の広報映像、TVCF、TVドキュメンタリー、博物館記録映像、常設展示パビリオンなどの映像撮影を行なう。
■岡野隆一 Ryuichi Okano
■森 貞人 Sadahito Mori
1950年愛知県生まれ/現在名古屋市在住
1972年東邦学園短期大学商業デザインコース研究科卒業後、フリーランス・イラストレータとして活動。90年に(有)アルファ・スタジオ設立。
主な個展:1987 電通アドギャラリー/1988・1991 東京デザイナーズスペース/1990 セントラルパークギャラリー(名古屋)/1991 スプーンギャラリー(大阪)/2004 国際デザインセンター名古屋「空中昆虫博覧会」
主な受賞:1996 アメリカ3-Dイラストレーターズコンペ銅賞/1998 ニューヨークADC優秀賞/2002 デジタルアートアワードトヤマ最優秀大賞/2004 アジアデジタルアート大賞展静止画大賞/2004 エプソンカラーイメージングコンテスト2004エプソン賞(グラフィック部門)
会場の一角では、2005年秋発売予定のエプソン MAXART K3 ハイクオリティモデルPX-9500
今、話題の大画面液晶プロジェクションテレビリビングステーションを展示している。
旧き佳き時代の面影と、現代の新しい貌を交差させた都ブエノスアイレス。
賑やかな大通りに、石畳のつづく小径(カミニート)に、夜の街灯りの中に、そしてラプラタの河岸に。
沢山の犬がうろつき、キュートな娘たちが往き交い、アサードの香ばしい肉の匂いがただよって、どこか哀感を帯びたタンゴの旋律が流れてくる。
ぼくにとって、ブエノスアイレスは、 長年恋い憧がれる<心の内なる街>だった。
そして、初めて出会って見て撮ったその街は、かぎりなくセクシーな魅力に包まれた、懐かしいたたずまいであった。
森山大道
約30時間の飛行を経て渡航、盛夏と厳冬の気温差の中、撮影はニ度にわたって行なわれ、路上をさまよい独特の嗅覚が捕らえた数々の影像が、カメラに収められていきました。ビーシャ(低所得者居住地区)の路上、跳ね回る子供たち、セクシーなタンゴのステップ、サッカーへの熱狂。彷徨へと誘う夜の街。白く乾いた風に吹かれる昼のたたずまい。沢山の野犬と混血する人々。ジャンクでヒップな街並は、写真家の遠い記憶をまさぐります。 誘惑的な存在感に魅せられて、通り過ぎてゆく様々な情景は、氏特有のざらついた画面に塗りこめられ、混沌と静寂をあわせもつ街並が、次々とフィルムにとどめられました。
■森山 大道 Daido Moriyama
1938年大阪生まれ。写真家。
既成概念をひるがえす比類のない写真作品を発表しつづける。写真史を省みても、日本を代表する、もっとも重要な写真家として、常に名前を挙げられる一人であり、その独自の作風は幅広い表現分野に影響力を持つ。
©Takeyoshi Tanuma
アンデスとは、南米アメリカ大陸の西岸沿いに北緯5度から南緯60度を走る大山系の総称です。南北の全長は650キロあり、その中には、現在のコロンビア、エクアドル、ブラジルの一部、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの各国が含まれます。この山系は中央で東西二つの山脈に分かれ、そのはざまにアタカマ高地などの盆地群、アルティプラノの大高原盆地、淡水のティティカカ湖や塩湖のポーポ湖があります。アンデス山脈から流れる川は太平洋に注ぎ、流域にオアシスを形成。一方、太平洋岸には、一年を通じてほとんど雨の降らない砂漠もあり、その自然は文字通り、複雑多岐にわたっています。
この中央アンデスに人が住むようになったのは、今から1万年前とも2万年前ともいわれています。われわれと先祖を同じくするモンゴロイド(類蒙古人)が、アジア大陸から大草食動物を追い、当時地続きであったベーリング海峡を通り北アメリカにわたりました。彼らの一部はさらに南アメリカへと移動していきました。その後、最終の生活から脱した彼らは、動物を家畜化し、栽培を始め、農耕文化を発達させ地域に定着するようになったのです。
この地域で、15世紀後半、南米大陸中央アンデスに広大なインカ帝国が成立しました。ここでは太陽への崇拝が行なわれ、皇帝(インカ)は太陽の化身とされていました。この帝国が、少数のスペインの「征服者たち」(コレンキスタドレス)に滅ぼされたのは、1533年のことです。以来、5世紀の月日が流れましたが、太陽の子にたとえられたインカの末裔たちは、今も、大地の子としてコカの葉を噛み、昔ながらのトウモロコシ、ジャガイモをつくり、リャーマを飼育しながら、黙々と、しかし、したたかにたくましく大自然の中で生き続けています。
■田沼武能 Takeyoshi Tanuma
略歴
フリーの水中写真家として20年のキャリアを持つ高砂氏は、仕事を通じ、世界40カ国以上のさまざまな土地を旅してきました。自然の思わぬ変化がもたらす稀有な風景に遭遇し、そこで暮らす生きものたちのくつろいだ表情を写し撮りながら。素の心で抱かれていけば、自然もまた内奥を開き、奇跡とも呼びたくなるような瞬間まで垣間見せてくれるのだ、ということがそれらの写真からは脈々と伝わってきます。一方で、氏は撮影行の中で、人間の捨てたゴミが海面に漂い今では稀少となってしまったアホウドリがそれらをついばむなど、人工物が生態系に影響を与えている状況を危惧しています。自然の恵みを知ることはまた人間の愚かさを知ることにつながります。しかし、自然の持つ胸襟の広さゆえに、人間もまた世界と一体となり、なんらかの形で貢献をすることができるのではないか、氏の写真にはあたたかみと世界の大きさを教えてくれた自然への素直な謝意があふれています。
高砂氏による近刊の写真集「night rainbow」の舞台となったハワイの信仰では、すべての生命が一体を成しており精霊はありとあらゆる生命体の父と言い伝えられ、精霊から放たれる宇宙のエネルギーが人間の才能や品格として現れるのだと信じられていました。自然との共存が生み出した精霊の存在には、人知を超えたところでの生命の本質への希求の気持ちが包みこまれているのかもしれません。そしてまた、自然のありようをあるがままにとらえた写真を再現し、見つめ、何かを感じ取るとすれば、それは我々にとって毎日の暮らしのあり方を振り返り再認識する行為を導きだしていくことなのかもしれません。
本展は、7つの要素(色、いのち、ダイビングの喜び、南の島、ナイト・レインボウ、ブルー、海流の脈動)によって構成されます。作品はすべて35ミリのポジフィルムから高精度のスキャンを行い、インクジェットプリント出力されています。
■高砂淳二 Junji Takasago
高砂淳二 オフィシャルホームページへ
永津広空氏は、エプソンカラーイメージングコンテスト2004でコンセプトの確かさと作品としての完成度により、5名の審査員(勝井三雄氏/佐藤可士和氏/佐内正史氏/藤原新也氏/森山大道氏)の全員一致で、グランプリを受賞しました。
次々と閉鎖されてゆく昭和時代の団地をデジタルカメラで2年に亘り撮影、永津氏のグラフィックデザイナーという職歴を存分に活かしながら一冊の写真集として見事な構成力で編集された「サクラチル公団」は、的確に切り取られていった情景のひとつひとつに、公団住宅という取り壊し寸前の古い建造物に蓄積されていった時間と生活の息づきが、封じ込められています。
評価されたのは写真作品としての一貫したテーマ性や魅力だけではなく、自らの大量に写しとった画像の中から適切な部分を選び出しまとめ上げる編集能力、さらに、出力用紙の質感や色づくりなどに見られる時代性を反映する感性などによる総合力でした。
「グランプリになった団地を撮った人には、ほとんど脱帽です。時間もかかってるし、どのシーンも的確、ほぼ完璧ですね。これは単純に感性だけで撮ってるわけじゃない、コンセプチャルということは、むしろこういう写真について言うべきだと感じました」(森山大道氏)
「十分に完成度と重さのあるグランプリが久しぶりに出たなという感じがします」(勝井三雄氏)
■永津広空 Hiroaki Nagatsu
1965年東京生まれ。1988年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業後、広告制作会社2社を経て現在フリーのグラフィックデザイナー。2002年よりデジタルカメラを使用した写真作品の制作を始める。
2004年エプソンカラーイメージングコンテスト2004グランプリ受賞。
何度も塗り足された壁の隅々にも
しっかりと時間は刻まれている
こんな小さなガラスのかけらにも
しっかりと風景は映し取られている
ひび割れる過去 揺らされる影
剥がれ落ちてゆく時間 流される風景
ポストの口は塞がれて
新聞や手紙が来なくなっても
最後に回したノブの音まで
しっかりとドアは記憶している
今は言葉のない 会話を
会話のない コミュニケーションを
目を閉じて みて
目を閉じて 見ている
永津広空
写真家、文筆家、評論家、画家…などの多彩な顔を持つ藤原新也は、異なるジャンルを自在に横断しながら、時代と社会の変貌を見つめ続け、表現者という立場からヴィヴィッドなメッセージを放ちつづけています。
2004年夏、藤原氏はヨーロッパに向けて旅立ちます。目的地はポルトガル。ユーロ2004サッカートーナメントでさんざめくリスボンを経由して、列車でポルトに到着。歴史的な風格を発する美しいポルトの街に降り立ち、カメラを手に歩きつづけました。そして、照りつける陽光のもとに細部を浮かび上がらせていくポルトの昼の様相と、街の隅々に巣食う闇が呼びさますミステリアスなざわめきが、写しとられていったのです。
ヨーロッパの昨今の経済事情がもたらした急激な変容から取り残されたかのように、時代の地層の澱を内包させ、ゆったりと蛇行するドウロ川の向こうに丘陵状にたたずむこの街の、至るところにひそんでいたものたちが、藤原氏のシャッター音に覚醒したかのように、その深奥を一瞬間のうちに覗かせていきました。
1969年に初めてインドに渡り、以後、断続的につづけられていった藤原氏の旅の軌跡は、2004年ポルトガル以降、植民地時代のルートをたどり南米へと向けられるのか、あるいは、東へくびすを返しヨーロッパを巡ることになるのか……新たな軌跡が描かれていく予感が感じられます。
本展は、インクジェットプリンターにより制作されたおよそ80点の写真作品により構成されます。
期間中、エプサイトは藤原氏本人のデザインする壁紙に覆われ、小さな部屋の連続する異空間として再構成されています。
ポルトガルの家庭の小さなリビングルームでくつろいでいるような気分になる写真展にしたいね。
藤原新也
展覧会場のレイアウト図です。5つの部屋に分かれ、各部屋毎に藤原新也氏デザインによるオリジナルの壁紙で装飾された壁に作品が展示されています。画像をクリックして、各部屋の様子をご覧ください。