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エプサイト
エプサイトギャラリー「東京写真月間2022」スペシャルインタビュー
6月1日は「写真の日」です。例年、この日を中心に公益社団法人 日本写真協会が主催する「東京写真月間」が実施されます。
2022年度の国内企画展のテーマは「地域との共生」。エプサイトギャラリーでは、北海道内の日常を切り取った浅野久男さんの「“Kai”を探して、A Journey to Find “Kai” in Hokkaido」と、瀬戸内海にある豊島(てしま)の写真を30年間撮影した、太田昭生さんの「豊島30年“産廃からアートへ”」を展示します。
社会はSDGs(2030年までに持続可能でよりよい世界を目指す国際目標)が求められる時代となり、写真業界でも過去から現在、未来にかけてそのような活動に注目が集まっています。エプサイトは本展の開催を通じ、社会の大きな意識の変革、また、何年も前から社会に対し課題感を持ち、活動している写真家が日本各地にいることを知っていただき、新しい写真活動のより大きな時流を共に創り上げていきたいと考えております。
ここでは、東京写真月間の主催者である公益社団法人 日本写真協会(以下、PSJ)のご担当者様と、展示を行う2名の作家にインタビューを実施。今回のテーマの狙いや、各作品が撮影された背景などについて伺いました。
今回のテーマが「地域との共生」となった経緯と、その狙いを教えてください。
PSJ:コロナ禍の影響で「写真月間2021」は実施できませんでしたが、「写真月間2022」では、最初に、そうした閉塞感のある中でも日本各地で地道に作品制作を行っている方がいるのではないかという思いがありました。一方で、世界的に「SDGs」活動への意識が高まってきました。加えて、コロナ禍の影響の1つとして、各々が住んでいる「地域」に目が向くようにもなってきています。つまり、これまでのような「東京主導型」ではなく、地域の集合体として日本全体を捉え、日本の魅力を引き出したり、持続可能性を意識したりする必要が出てきたのだと思います。そこでPSJでは、写真業界の立場から、地域での活動をどのようにしたら引き出せるかを考え、今回のテーマを「地域との共生」としました。写真はどんな形でも伝えられる表現手段だからこそ、地域での人の営み、地域の現状や抱える課題などを、写真家ならではの視点や表現を通じて広く知っていただく機会になれば、と考えています。
エプサイトでは、浅野久男さん、太田昭生さんの作品を展示しますが、PSJから見た作品の印象などを教えてください。
PSJ:今回はテーマの性質上、日本全国の広いエリアの作品を選出、展示することを意識しました。エプサイトで展示される2名については、浅野さんは北海道の過疎などの問題点を含む現状を上手く伝えてくれるのではないか、太田さんは瀬戸内海にある豊島の産廃問題や、その後の島の発展を定点観測という手法で提起し、しっかりと伝えてくれるのではないかと思っています。
『“Kai”を探して、A Journey to Find “Kai” in Hokkaido』夕張市/YUBARI/Yu-paro : HISAO ASANO
■写真家プロフィール
札幌市出身。北海道を中心に、旅と風景を題材とした撮影活動を続ける。高校や大学などで写真講座を担当する。
公益社団法人日本写真協会正会員、公益社団法人日本写真家協会正会員、日本旅行写真家協会正会員。NPO法人北海道を発信する写真家ネットワーク相談役、ピンホール写真芸術学会会員。
浅野さんは、主に北海道で活動されていますが、日頃の写真活動で「地域との共生」について意識していることはありますか?
浅野さん:私は札幌市に住んでいて、そこから各地域に出掛けて行って撮影しているのですが、札幌などの都市以外では、多くの地域で人口の減少が進んでいます。そうした地域の中で、そこに住んでいる人々や、かつて住んでいた人たちとその歴史が感じられる写真を記録したいという思いで活動しています。
こうしたシンパシーの部分は、被写体となる地域との「共生」に繋がるのではないかと考えています。そのほか、具体的な取り組みとして、これまでに写真の町 東川町での写真の町事業での企画・運営にも携わりました。
現在は、多くの過疎地域を含む広いエリアで、学校写真や風景写真を中心とした商業撮影をする仕事を続けながら、自分の作品の撮影を行っています。今回展示させていただく写真の多くは、そうした写真を撮るために道内各地を移動した先で撮り続けてきた、ソーシャルランドスケープのシリーズになります。
撮影する際は、歴史的な背景を調査し、できるだけ各地域の方のお話を伺うようにするなど、コミュニケーションを大切にしながら、地域ごとの特徴が出せるように意識しています。
今回の作品は、北海道の「日常」を捉えたものとのことですが、日常に注目した理由は何でしょうか?
浅野さん:北海道は、広大な大地の中に市街地が点在するなど、アメリカ的な距離感で構成された地域が大部分です。写真史的にも、アメリカの西部開拓時代がそうであったように、明治期以降のいわゆる北海道「開拓」の歴史は、田本研造らの写真によってその変化が記録されています。一方、アメリカでも、60年代から過疎化した街を記録した写真作品が数多く発表されています。私としても、これらの「ニュー・カラー」の作家と同じような視点で北海道の日常の光景を写真というメディアを使って記録していこうという意識があります。
また、この現状と対比するようにして、北海道の「絶景写真」といったものがあり、SNSなどを通じて多くの方の北海道のイメージを形作っていますが、そうした絶景スポットは道内のごく一部であり、ほとんどのエリアは、どちらかというと荒涼としたというか、「ここに住むもの」にとっては日常の風景が広がっているのです。
北海道を表す言葉に「豊かな自然」といったものがありますが、日常の生活自体が豊かな自然に取り込まれていて、いわば“自然との共生”が否応なしに成立しているのが実情だと感じます。そうしたことなどから、本作では北海道の「日常」をありのままに捉えています。
『“Kai”を探して、A Journey to Find “Kai” in Hokkaido』豊頃町/TOYOKORO/Topyokaoro : HISAO ASANO
これまで北海道を撮り続けてきて、見えてきたものや感じたことなどはありますか?今回の展示で伝えたいこと、見てほしいポイントなどと合わせて教えてください。
浅野さん:これまでに私が北海道を撮り続けてきて感じるのは、地域ごとの変化が非常に早く、特に最近は変化の度合いも大きくなってきているということです。実際、1~2年程訪れないでいると、地域全体が様変わりしているといったケースも少なくありません。それだけに、一期一会のつもりで丁寧に撮影、記録することの大切さも感じています。
少し話は逸れますが、最近、各地の学校にカメラ機能付きのタブレットが配備され、児童1人に1台ずつ貸与されています。これは、コロナ禍でリモート授業の必要があったことがきっかけなのですが、それにより、子どもたちが自由な視点で写真を撮り、発信することが可能になってきました。地域としても、それらを地域振興に生かそうと考え始めているようです。こうしたことは、日常を記録するという点で力があり、従来、記憶の中にしかなかったものが、映像として記録される点で、私も注目しています。
今回の作品は、北海道の「日常」を撮影したシリーズとして初の展示であり、今後も撮影や作品発表ができたらと考えているものの1つです。
本作には、道内の様々な地域はもちろん、過去に住んでいた方々の生活の痕跡など、北海道という土地や、そこに住む人々の多様性や多面性が写っています。そうした写真を見て、北海道という地域が、いろいろな可能性や歴史を持った場所であることを感じていただけたらと思います。
『豊島30年 “産廃からアートへ”』: AKIO OTA
■写真家プロフィール
1950年香川県小豆島生まれ。元高校教師。1999年酒田市土門拳文化賞奨励賞受賞。公益社団法人日本写真協会正会員。主な写真展として、銀座ニコンサロンで5回・新宿ニコンサロンで2回・大阪ニコンサロンで4回開催。
太田さんは、長年、瀬戸内海の島を写真で記録されています。そうした太田さんから見て、「地域との共生」について考えていることはありますか?
太田さん:瀬戸内海に限らないことですが、地域の大きな問題の1つに「過疎化」があります。20~30年前であれば、兵庫県の坊勢島や香川県の伊吹島など、元気な島がいくつもありました。しかし最近では、それらの島も含めて過疎化が急速に進行しています。地域には大きな産業として漁業などがあり、収入は十分に得られるのですが、業種的に男性の比率が高く後継者問題が顕在化しているのです。
私はこれまで、豊島や大島を中心に取材してきましたが、最近はアートの島として注目され、人口が比較的多いといえる豊島でさえ、現時点での島民は700名程であり、過疎化が進行しています。そうした状況で「地域との共生」について考えると、今後は過疎化や人口などについての問題提起も必要だと感じています。
太田さんは、これまでにも豊島をテーマにした展示を行われていますが、長年撮影や展示をされる中で、気持ちや視点の変化などはありましたか?
太田さん:豊島は古くは採石の島だったのですが、バブル景気の頃に採石後の窪地に産廃を埋め始めました。当初は業者が金属を含む有価物(資産)を受け入れたものとされ、香川県も認めていましたが、これは実質的な産廃であり、その処分方法などにも問題がありました。1990年11月に兵庫県警が業者を摘発し、さらにダイオキシンといった数々の有害物質が発生したことなどから住民も県を訴え、「豊島産廃問題」として大きな社会問題となりました。
私は、その3カ月前の1990年8月から豊島を撮り始めたのですが、そのときの豊島は、住民が住む地域のほか、島外の方のプライベートビーチなどがあり、さらに産廃処理場もあるという混沌とした状況。産廃問題というよりも、バブル期の日本の縮図のように感じて撮り始めたものでした。結果的には産廃問題が注目され、私の写真もその記録のようになっていきました。当時は、やるせない気持ちでしたが、実際のところどうしようもありませんでした。
その後、島外の著名人やマスコミを含む多くの方が問題を取り上げたことで島民も一致団結し、調停を繰り返した結果、2000年に香川県知事が謝罪することで一応の決着となりました。最近になってようやく産廃の撤去も完了しています。ただ、現状でも水質汚濁などの問題は残っているのが実情です。ともあれ、問題が一段落し、2010年以降は瀬戸内国際芸術祭が開催され、アートの島として注目されたことで、島のイメージがマイナスからプラスに転じたことは、私としても良かったと感じています。いつかは、かつてのような漁業や農業などが盛んな、文字どおり「豊かな島」に戻ってほしいと願っています。
『豊島30年 “産廃からアートへ”』: AKIO OTA
今回の展示で見てほしいポイント、伝えたいことなどはありますか?
太田さん:今回の展示では、豊島という被写体だけでなく、定点観測という手法など、写真そのものの面白さを感じていただけたらと思っています。展示方法も、30年前、20年前、現在、といったように3枚組の写真を基本にするなど、テンポよく見ていただけるように構成しています。最後になりますが、かつて豊島の産廃は日本全国から集まっていました。その中に東京都豊島区からのものがあり、それらは、豊島(としま)発、豊島(てしま)行きとなっていたわけです。このエピソードと合わせて思い出すのが、1992年に初めて東京で豊島についての写真展を行ったときに、来場者の多くが「てしま」ではなく「としま」と読まれていたことです。今回の展示でも、まずは瀬戸内海に「てしま」という島があることを知っていただき、その上で豊島問題や瀬戸内国際芸術祭、瀬戸内海の島々などに関心を寄せていただけたら幸いです。
今回の展示では、浅野さんと太田さんによる、身近な地域を題材に撮影した作品が、単なる記録に留まらない社会課題の提起や課題解決に向けた提案のひとつになっています。本展が、SDGsや地域の社会課題に対する取り組みについて知る機会となり、自身が暮らす地域の課題など身の回りの社会課題に目を向け、持続可能で、より良い世界を目指して行動するきっかけの1つになることを願っています。
エプソンは持続可能な暮らしの実現に向けた取り組みを推進しています。
エプソンの培ってきた技術や、商品をご紹介し、環境負荷低減や学習の質向上などの社会課題解決に関わる事例をご覧いただくことで、さまざまな課題に向き合っていく場を皆様と共創していきたいと考えています。
■写真展情報
(注)状況により会期・開催時間を変更する場合があります。会期についての最新情報は展覧会のホームページをご確認ください。