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エプサイトギャラリー公募展・epSITE Gallery Award
選考委員 北島 敬三(写真家)・小高 美穂(フォトキュレーター)
2017年10月上旬から2月下旬までの期間にエプサイトギャラリーにて写真展を開催する作品を選出する公募選考会を行い、6組の出展者を決定しました。
選出された皆様の氏名および作品タイトルは以下の通りです。
また、今後応募を希望される方へ参考委員からのアドバイスを掲載していますので、
こちらもご覧ください。
■池上 諭「蜜柑が赤く熟れる時分」
1984年茅ヶ崎生まれ。東京造形大学卒業後、日本徒歩横断、山、ニセコなど様々な場所で活動している。
観光的に撮ったのではなく、何か思いを抱えて徘徊している感じがうかがえる。ただの風景の記録ではなく、個人の旅をのせた何かにしようとしているのだと思う。示唆的なカットもあって、見終わったときに独特な余韻を残す。
【北島 評】見ているものが複雑で、矛盾とか迷いといったものも受け入れているような感じがある。だから見る側にも多くの発見がある。見えているものを見えているように撮っているのではなく、曖昧な場所を目指そうとしているのだと思う。
■塩原 真澄「果物を育てて」
1974年長野県生まれ。2016年写真展「御苗場」にてグランプリを受賞、写真集「Fruition」を出版。2017年、同写真集がPX3にて3カテゴリー受賞。さらに他1シリーズがSilverを受賞する。
品種ごとの美しさなど、育てている人ならではの学者的な視点が見える。ボタニカルアートは確立されているので絵的な珍しさはそれほどないが、写真でこれをやるのも面白いと気付かせてくれた。「こういうのは手描き」という既成概念を打ち破った作品。
【北島 評】コツコツと自分で育てた果物をここまでして残す、まさに“マニア”の世界。誰にも博物学的な欲望はあると思うが、なかなか実際にここまでできるものではない。もの自体の面白さと、この世界を一人で実現した不思議な人間がいるという面白さとがある。
■高木 あつ子「片品村のカヲルさん」
東京生まれ。東京工芸大学短期部写真技術科卒業。フリーランスフォトグラファー第4回ひとつぼてん入選。2005年フォトプレミオ入選,写真展「母なる人たち」開催。
率直に「みんなに見てほしい」と思える素晴らしい写真だ。作者には社会批評的な視点もあるのだろうが、この写真に皮肉はまったくなく、被写体へのすさまじい共感がある。そういう人じゃないと撮れないカットがたくさんあって、好感が持てる。
【小高 評】おばあさんたちが生き生きとして輝いている。写真の魅力が伝わる作品だ。作者は女性の社会進出・働き方といった問題にも興味がある人だと思う。女性が働くというと今でこそ大げさな話になるが、この作品を見ると、昔の農村では女性が働いて役割を担うのは当たり前だった、ということを改めて教えてくれる。
■津田 隆志「mirror/river」
1983年愛知県生まれ。
フィールドワークを軸に、写真・映像を用いた作品制作を行っています。
河川の汚染という問題と、川の表層に映り込んだ都市風景。その両方が一枚に集約されて見えているのが面白い。
【北島 評】この時代のペインターたちが考えているような写真についての問題意識をもった作品、つまり美術批評をテーマにした作品だ。カットの選び方を見ても、美意識ではなく認識でやっている。ディストーション(歪み)が出ないレンズを選択しているあたりも、完成度につながっている。実際の展示はどういう風にしてくるのか、非常に楽しみだ。
■前田 充晴「雪の旅」
1968年生まれ。大阪府出身。千葉県在住
この作品には「右を見て、左を見て、じゃあ自分はこうする」というのがない。何かを参照したのではなく、自分の手を一生懸命動かして、自分の写真を誰かと共有できるところまで追い込み織り上げているところに共感を感じる。それを私は「オリジナリティ」と呼びたい。ここにたどり着くまでにかなりの時間をかけていて、その過程で起きる偶然や発見みたいなものを受け入れているところが面白い。
【小高 評】かなり量を撮って、その中からしっかり選ん でいると思う。一枚一枚が強い。旅の写真というのはプライベートなものだが、個人の殻の中にあるのではなく表現として見せることを考えている。
■道原 裕「中有(ちゅうう)」
1969(S44)年、東京都生まれ。東京農工大学農学部卒業。銀座写真塾・曽根陽一教室修了。個展に「名残川」(コニカミノルタプラザ)、「夜鐘」(Roonee247)など
一点一点がかなり濃くて怖い世界だが、この写真が空間をつくったときにどうなるのか、それが楽しみだ。数が集まっていくほどに、パーソナルなものがミクロになってミクロが急にマクロに見えてくるというような、量子力学とかそういう世界に展開していきそうな気配がある。
【北島 評】対峙して見るのではなく、入り込んで見たい作品。耽美的なこの人独自の世界をリアルサイズで体験してみたい。
北島これからの展示はすごくクオリティの高いものになると思います。いいものが選べてよかったと思っています。
小高全体のクオリティが上がって、しっかり作品をつくっている人が増えたという印象です。さらに求めることがあるとしたら、今の状況で写真というメディアをどう捉えていくのか、そこに踏み込んだものも見てみたいということです。“写真”の表現そのものを追求した作品、という言い方もできるかもしれません。
北島確かに、写真は今、大きなパラダイムシフト(価値観や常識の転換)の時代。アナログ写真とデジタル写真は根本的に違っている。そんな中で、写真って何なのかという問題からは逃れられない。今すぐに答えが出る問いではないから、試行錯誤を続けていくしかないんですよね。
小高絵じゃなくて写真をやる意味が今まで以上に考えられているときですよね。
北島そうですね。それともう一つ。応募作品は必ずしも数十枚のまとまりじゃなくていい、と思うんです。ある程度の枚数を用意して写真群としてざっくり見せるというスタイルは、60年代から90年代までずっと日本の写真のパラダイムとして支配していました。僕自身もその中にいたので、それを当たり前のこととしていて、規制されているなんて思っていなかった。しかし、そうじゃなくていいはず。極端に言えば、2点や5点の連作でもいいわけで、いろんな発想・つくり方がある。
小高みんな慣例とか思い込みにとらわれているのかもしれませんね。
北島だからまず、自身がとらわれていることに気付くこと。既成概念を取っ払ってみると、多様性とか一気に吹き出してくるじゃないですか。まあ要するに、自由につくるってけっこう大変なことなんですよね。
小高そうですね。でもそういう新しい作品を期待したいです。
ブックで応募してくる方が多いのですが、この募集は展示に向けてのものだということをもっと考えたいですね。
“ブックを見る”とは見開きを見ることを重ねていく行為なので、時間的な見え方になります。しかし展示は、動線はあるにせよ、すべての写真が同時に見えるわけです。例えば電信柱ばかり50本撮った写真は“同時に撮った”という表現なわけで、そこには順番はない。でもこれをブックにすると、見る方は時間体験になってしまうわけです。
ですから、展覧会の材料として応募する場合、プリントを出して広げて見られる形が基本なのだと思います。