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エプサイトギャラリー公募展・epSITE Gallery Award
選考委員 北島 敬三(写真家)・小高 美穂(フォトキュレーター)
2018年4月中旬から9月上旬までの期間にエプサイトギャラリーにて写真展を開催する作品を選出する公募選考会を行い、6組の出展者を決定しました。選出された皆様の氏名および作品タイトルは以下の通りです。
また、今後応募を希望される方へ選考委員からのアドバイスを掲載していますので、こちらもご覧ください。
■芦谷 淳「~余白~」
©Jun Ashiya
1971年 東京都生まれ
1992年 東京工芸大学短期大学部卒 フォックスタルボット賞 第2席受賞
2013年より中判デジタルによる自然と人工物の境界を主眼としたモノクロランドスケープ写真展をepSITEなどの都内ギャラリーでほぼ毎年開催中。
一見すると、タイポロジーのようにも見えるが、決してそうではない。それぞれの写真は、北海道開拓に携わった人々の個別な物語を潜在させ、交換不可能な単独性を帯びている。このドライな記録写真を見る者がその想像力を向けるべき先は、これらの小屋に暮らした人々のあり様と北海道という土地の歴史なのだと思わずにはいられなかった。
【小高 評】開拓の歴史がこれらの風景から垣間見える。こうした歴史的な記録はやはり写真というメディアだからこそ留めておけるもので、その手段としてできるだけ主観を排したスタイルを取ったことは、正しい選択だったように思われる。考現学的な面白さに加えて、写真としての魅力がある。活動し続けて欲しいと思わせる作家だ。
■安藤久美子「木魂」
©Kumiko Andoh
東京都生まれ。学習院大学文学部卒。竹の撮影を始めて、2013年より写真教室で学ぶ。
2016年3月「神島塾4期生展」
https://www.kumikoandoh.com
竹と椿が暗闇の中で辛うじて見えるくらいに捉えられていて、目には見えない気配や、その霊性を表そうとしているように思える。椿と竹は古来、魂が宿るとされているし、日本文化とも深く結び付いている。それらは人体のようになまめかしく、幽霊のようでもある。
【北島 評】植物は、ひとまず誰が撮ってもほどほど抽象的なイメージにできるし、逆に生々しいリアルなイメージにもしやすい。この写真の幽玄な魅力は、色調や光の抑制されたコントロールによるところが大きいだろう。実際の展示では、サンプル(応募時のプリント)サイズよりもかなり大きくして点数を絞って見せるつもりのようで、どんな展示空間になるのか楽しみにしている。
■稲垣英孝「RESURRECTION SPELL」
©Hidetaka Inagaki
1974年三重県生まれ。1998年大阪芸術大学芸術学部写真学科卒。
https://www.hidetakainagaki.net/
ブックで何か一つの文脈を提示するとしたら普通は入れないようなカットが入っている。それは、意味をあえて固定させないという態度、組み替えて変化していくものの中に何かしら新たな意味が生まれるということ、を示しているのだと思うが、展示でどう展開されるのか興味がある。
【北島 評】本という形式だとつい見開き単位で見てしまうが、どうもそうではなく、ここでは連続的なイメージが無根拠に羅列されているということに重点が置かれているようだ。一つのイメージに永遠不変の同一性があるというのは幻想だ、と示唆しているのではないか。
とすれば、イメージが変わる瞬間、その刹那にだけ、リアリティーが潜んでいるということなのではないか。展示ではそのあたりを見てみたい。
■稲田弥恵「猩々蠅(しょうじょうばえ)の囁きに 耳を傾ける」
©Mie Inada
東京都出身。学習院大学文学部フランス文学科卒業。
京都造形芸術大学通信教育部美術科写真コースを2017年に卒業。
同年、写真家オーディション”CANON SHINES”のファイナリストに選出される。
まず、脳科学の研究室とショウジョウバエという被写体の選び方に新鮮な驚きがあった。こういう写真は科学雑誌の中で文章を補足するものとして見ることはあるが、このようにイメージの集合として見ると、視覚言語を読み解いていくような面白さがある。アートとサイエンスを融合する活動をしているようで、それも含めて非常にユニークな作家だと思う。
【北島 評】いわゆる科学写真ではないし、ピクチャレスクでもない。不思議な魅力があり、それについて考えることに意味があるのだろう。
作者も答えを持っているわけではなく、現在進行形で探っているのだろうか。一見未完成に見えるが、結論よりも、そこに到るまでの過程のすべてが等価で大事なはずだ。本番の展示では、この研究所で行った展示の記録写真も入れて、重層的に展開するのもいいかもしれない。
■神田開主「視線をむすぶ」
©Akikami Kanda
1986年埼玉県生まれ、群馬県在住 2009年日本写真芸術専門学校卒業
北関東を中心に変化と視線を軸とし表現を続ける。
写真集「地図を歩く」「壁」
http://akikamikanda.org/
この場所と作者にどういう関わりがあるのかわからないが、この土地を見続けているからこその閉塞感と、そこからの救いを求めているような印象を受けた。しかしそこから何かを見出そうとする視線に、見ることの忍耐力のようなものも感じる。
それが、ある一つの場所が普遍化された場所へと変わることに繋がっているのかもしれない。私たちはついドラマチックなものを求めるが、何も起こらない中にこそ“見る”ことの本質があるのでは、そんなことを考えた。
既視感があり類型的な写真にも見えたが、きわどくオリジナリティーを保持しているのは、粘り強くてらいのない撮り方と、高密度な画像制作によるものだと思った。両手の平くらいのプリントサイズも適正で、できればこのままのサイズで展示して欲しいと思った。小さなプリントでなければ伝わらないこともある。
■柴田慶子「聞き写し 春日」
©Keiko Shibata
1965年生まれ 東京都在住
家族から写真を学ぶほか、ワークショップに参加する。
個展:
1996年 コニカ新しい写真家登場
1997年 岐阜県揖斐川郡春日村(現在揖斐川郡揖斐川町春日)森の文化博物館
2008年 コニカAギャラリー「山と人の境界近く」
2017年 岐阜県揖斐郡揖斐川町地域交流センター「はなもも」
ステイトメントによると村のご老人たちの話を聞き写し、作られた作品のようだが、記憶のワンシーンのようなものと行事などの民俗学的写真が混在していて、中には古写真らしいものもある。それらの境界があやふやで、不可解さを残しているところに面白みを感じた。
民話の中の世界に突如迷い込んでしまったような怖さも感じる。
じっと見ていると、微細な感情とともにさまざまなイメージが私の中に湧き上がってくる。作者には、記憶と現実とを分離する二項対立的な思考はないようだ。もとより写真は記憶そのものではないし、現実の再現表象でもない。この作品自体が、小さな、しかし新しい世界の誕生なのだと思った。
■嶋田聡史「気鋭の排他」
©Satoshi Shimada
1979年 兵庫県西宮市生まれ 現在品川区在住
2015年 3月よりカメラを始める
個展:
2016年 3月 「incentive」(インセンティブ) gem (中目黒)など
shimadasatoshi.jp
これを見ながら「新陳代謝」ということを思った。普通、建築物を見るときは物体として全体を把握しようとすることが多いが、有機的な視点で都市を捉えることによって、まるで生物の表皮を見ているような感じがした。
皮膚が日々新陳代謝を繰り返すことと、都市がスクラップ&ビルドでめまぐるしい速度で変わり続けていることが、建築物の表層を通して象徴的に表されていると思う。
自分の中に外部から侵入してくる「無意識」が、この写真には表出しているように見える。普段私たちは、例えば建築物を構成しているストライプやグリッドなどの形態や反復性にはあまり気付かない。この写真に写し出されているものは、いわば見過ごしている風景なのだ。
小高さんのおっしゃるように、建築には皮膜があり、それを私は無意識と呼んだのかもしれない。
小高柴田さんは圧倒的な世界観をもっていて、いわゆる「〜らしさ」では語れない作品でした。芦谷さんは真摯に対象を見続ける姿勢に共感を持てるし、こちらもその活動を見続けたいと思える方でした。
北島確かに今回は、そのお二人の印象が圧倒的に強いですね。そういう作品と出会えて良かったと思いました。年齢を見て選ぶわけではありませんが、最年少の31歳の方も印象的でした。40代の実力者が中心の応募作品の中で、31歳の方が入ったのは良かったですね。
小高そうですね。それに、よくあるステップ、つまり写真の勉強をして賞を取って……というような流れではなく、独自のアプローチで写真の世界に入ってきている方もいましたね。柴田さんは「聞き写し」というところからですし、こういう方が現れるのは面白いですよね。
北島選考された7人のうち女性が3人、つまり半分くらいということですよね。選者も小高さんと私で男女半々ですから、女性の入選者が増えたことは大歓迎です。
タイトルやキャプションやステイトメントといった文字情報はすごく重要です。軽く考えずに、あらゆる手段を使って自分のやっていることを
相手に伝えようと努めてください。
もともと写真とは不安定な存在で、言葉の影響を強く受けます。「写真に言葉は必要ない」は、もうやめましょう。タイトルは完全に作品の
一部、例えば原稿用紙10枚分の説明文に相当するほどの意味を持っていると思ってください。時間をかけて言葉を選んでください。