2022年・第1期(第26回公募選考会)選考委員評

選考の様子

選考会の様子

選考委員
上田 義彦氏
(写真家 多摩美術大学グラフィックデザイン学科教授)
速水 惟広氏
(T3 PHOTO FESTIVAL TOKYO(東京国際写真祭)ファウンダー)

2022年11月~2023年3月までの期間にエプサイトギャラリーにて写真展を開催する作品を選出する公募展選考会を行い、3組の出展者を決定しました。選出された作品と選考委員のコメントは以下のとおりです。
また、今後応募を希望される方へ選考委員からのアドバイスを掲載していますので、こちらもご覧ください。

選出作品(50音順)

大森 めぐみ
『Bright portraits あかるい写真』

大森 めぐみ『Bright portraits あかるい写真』

日常の中のきらめいた瞬間を生捕りにしておくことは私を安心させる。
今そこにあるけど確実に消えてしまう情景を記録したい。
撮った写真を見るたびにその人や付随するものを思い出す。
私にとって撮ることは祈ることと似ている。

【プロフィール】
大森 めぐみ|Megumi Omori

2020年 多摩美術大学 美術研究科デザイン専攻博士前期課程を修了

2018年 「Shining in your eyes '18」Gallery916
2020年 「Shining in your eyes 2020」LE DECO
2020年 「Touch of Summer -夏の手触り-」ロロピアーナ銀座
2021年3月より雑誌「宣伝会議」のカバー撮影を担当

https://www.instagram.com/meg_omori/新規ウィンドウが開きます

【上田氏 評】
本作は、"あかるさ"を強く意識して撮影、セレクトされているが、本質的なテーマは背後にある「死」の気配だと思う。そして、明るい写真であるほど、その気配は強くなるが、作品を見て不安に感じることはない。それは、作者があくまで「生」の方向を向いているからであり、そこに良さを感じる。
日常の中の明るさは、非常に不安定で、すぐに自分の手からこぼれ落ちてしまう。その明るさを留めておきたいといった作者の願い、祈りを強く感じる。
【速水氏 評】
記録されたあらゆるものが「過去」の断片になる。そんな宿命を背負って生まれた写真というメディアを、ロラン・バルトは「それは=かつて=あった」と要約した。写真に写りこむ「喪失」。それは、これまでにも多くの写真家が取り組んできたテーマであり、その多くが写真の中から予感させる「死」のイメージを閲覧者が感じ取るという形式の表現であった。タイトルとは作品の器である。『Bright portraits あかるい写真』における「あかるさ=生」であり、それは裏返しになった「死」だろう。だが、そこに写るのは「喪失」の暗さではない。丁寧なセレクトによって生み出された世界は、この不安定な時代において、写真の中だけに許される我々の願いの代弁なのかもしれない。

戚 羽豪
『UNMEASURABLE』

戚 羽豪『UNMEASURABLE』

茅ヶ崎のビーチは、光と海と風と砂が終わることのない変化を見せてくれます。私は、その変化を追いかけ夢中になって写真にとどめましたが、もう一人の作者は自然そのものです。
自然に対する驚きと感謝の気持ちも含め、作品にまとめたいと思いました。

【プロフィール】
戚 羽豪(セキ ウゴウ)|YUHAO QI

2019年 多摩美術大学グラフィックデザイン学科 卒業
2021年 多摩美術大学大学院グラフィックデザイン専攻(写真研究室) 卒業

2020年8月 株式会社スパーキング アート スタジオを設立

https://www.sparkingartstudio.com/新規ウィンドウが開きます
https://www.instagram.com/ugou_yhq/新規ウィンドウが開きます

【上田氏 評】
作者は、いわゆるコンセプチュアル・フォト(あるいは、コンセプチュアル・アート)の影響を強く受けているのだと思う。一方で、そこから離れ、自分なりの表現方法を導き出そうとしているようにも見え、今後も含めて楽しみな作家だ。展示では、かなり大きくプリントすることを計画しているようだが、最適な紙をしっかりと選んで丁寧にプリントすれば、素晴らしい展示になるはずだ。
【速水氏 評】
黒とグレーだけで表現された、ミニマムかつコンセプチュアルな写真で、とても好感を持った作品。本作は、茅ケ崎海岸の波と砂浜を捉えているが、一見するだけでは何が写っているのか判然とせず、1枚1枚をじっくり見ることで、偶然が作り出す画面の変化の面白さに気付かされる。無駄な要素を削ぎ落した作品だけに、展示もできるだけシンプルにまとめることができれば、インパクトの強い展示になると期待している。

段 佳祥
『私たちが創るもの、私たちを創るもの』

段 佳祥『私たちが創るもの、私たちを創るもの』

宗教の信仰を持ってないが、ずっと造物主の存在を信じている。
風景を眺めるとき、私たちの命や雑草のようなちっぽけな命、そして人間に創造された命のないものと一体どんな違いがあるのかを、よく考えている。
人間が創造している一方で、別の何かに創造されるものでもある。
「私たちが創るもの、私たちを創るもの」というテーマに沿って、造物主の存在、また生命に対して自分の思考を写真で証明したいと思う。

【プロフィール】
段 佳祥(ダン カショウ)|Duan Jiaxiang

1995年 中国 青島生まれ
2018年 山東芸術学院メディア学科ドキュメンタリー専攻卒業
2019年 来日
多摩美術大学大学院写真研究室在学中

https://www.instagram.com/viscaria16/新規ウィンドウが開きます

【上田氏 評】
人間は自然に介入し、様々なものを作り出してきた。一方で介入された自然も、明確な意識は無いにせよ、人間が作り出したものに侵食したり、それらと共存したりしている。作者はこうした事象が、最終的には人間に等しく作用して現在の私たちを形づくっているといったように感じ、本作を制作したのだと思う。各写真からは作者の極めて強い視線が感じられ、何を見ているのかが明確に写し出されている。その非感覚的でダイレクトな力強さは、本作の大きな魅力になっている。
【速水氏 評】
鋭く切りとられたフレーム。そのまなざしの強さが素晴らしい作品。そこに作者の哲学にも近い一貫した視点の存在を感じることができる。審査時のステートメントから、私が作者の意図を理解できているか怪しいが、タイトルの「私がつくるもの」と「私をつくるもの」とは、物事の表裏、陰と陽のような組み合わせのことをさしているのだろう。作家にとってのシャッターチャンスとは、その均衡がとれた瞬間の風景であるに違いない。

選考委員総評

  • 【上田氏】
    選考を終えて改めて感じることは、テーマや被写体が多種多様で幅広い内容の作品が数多く集まったということだ。昨年よりも勢いの感じられる作品が多く、見所の多い選考であった。今回、選ばれなかったとしても、がっかりすることなく自信を持って作品を作り続けてほしい。実際、残念ながら選べなかったけれど、記憶に残っている作品も少なくなかった。そうしたなかで今回選んだ3作品は、いずれも多くの人が内容に共感できると思われる作品であり、ベクトルは違っていても深い写真だと感じた。そうした深さを感じられたことは、とても嬉しく有意義な選考ができたと思う。
  • 【速水氏】
    時勢の影響も大きいと思うが、昨年以上に気になる作品が多く感じた。今回賞に選ばれなかった作品の中にも、優れた作品が少なくなかった印象だ。一方で、中には極めてレベルの高い作品であっても、ギャラリー展示ではなく、写真集などよりパーソナルな媒体で見せたほうが適した作品や、WEB上などデジタルデバイスの活用が有効だと感じられる作品もあった。その点で、今回選出された作品は、いずれも、ギャラリーで1点1点のプリントを見たり、展示というフォーマットで見た時に、作品の内容やテーマが生きてくるものを選ぶことができたと思う。

選考委員からのアドバイス

  • 【上田氏】
    今回の選考では、応募作品のレベルも少し上がってきて、写真表現の深さが1つのポイントになった。つまり、写真の表層的な面白さではなく、表現の内容的な深さや重さなどが大切になってきたということだ。そのため、写真を撮るときや編集するときなどに、今一度、各自のテーマや内容を掘り下げてみたらと思う。とはいえ、この公募では単に熟練者を評価しているわけではない点も理解してほしい。例えば、今回選ばれたのは、いずれも20代の若手作家であった一方で、前回の「epSITE Gallery Award」受賞者は50代の作家だった。つまり、年齢や熟練度ではなく、作品の内容や取り組みの真摯さといったことも評価している。既成概念的な制約なく、より多くの方に挑戦してほしいと思う。
  • 【速水氏】
    総評でも少し触れたが、作品にはその作品を見せるうえで最も適したフォーマットがあると思う。例えば展示で見せるのか、写真集で見せるのか、スライドショーで見せるのか、といったことがそれにあたる。同時に、それがどういった場なのか、あるいはどういったオーディエンスが訪れるのか、といったことも作品の選考において重要な要素になるだろう。「epSITE Gallery Award」ではもちろんその最終形態はギャラリー展示ということになるわけだが、私個人が期待しているのはギャラリーという場の中で見せることが可能な、最もギリギリを攻めた作品だ。誰にも媚びることなく、知的にセレクトされた、多様な解釈をもたらす作品を期待している。