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エプサイトギャラリー公募展・epSITE Gallery Award
15年にわたって取り組んでいるという重みを感じる。撮影者の視点がしっかりしていて、その一途さや真面目さが写真に出ている。狙っていないというか、嫌みがなく魅力的。自身の出身とテーマを重ね合わせているが、“想い”だけにとどまらないとらえ方をしている。カメラを海の中だけでなく人にも向け、きちんと取材しているし、構成のバランスがよく考えられている。ある程度説明が必要な内容だけに、展示では文字情報をどう処理するかが課題となるだろう。
「水俣」という言葉を聞いて多くの人がまず思い浮かべるのは、公害という負のイメージではないだろうか。地域に残した傷や社会的な影響の大きさを考えれば、それは致し方ないことなのだろう。しかし今日の水俣は、もはやかつての水俣ではない。長い時間をかけて生まれ変わったのだ。その様子を15年にわたって見つめ続けたのが、尾崎たまきである。彼女の写真は、私たちに新鮮な驚きと新しい水俣のイメージを伝えてくれる。
「すべてのきっかけは“仕切り網”なんです。仕切り網というのは、汚染魚の拡散を防ぐため水俣湾に張り巡らされた網で、水俣の象徴的な存在でした。それを撤去するかどうかというのが議論されテレビや新聞などで盛んに報道されていたのが、私が20代半ば頃で、その頃の私はダイビングにはまっていたんですね。それで、実際に仕切り網を見てみたくなったんです。海を何キロにもわたって仕切るという行為も不思議に思えて。だから自分の目で見てみたいなと。まあ、単なる好奇心ですよね。
水面を泳いで行って網のところで潜ったんですけど、そのときは本当にびっくりしました。水はきれいだし、魚がわんさかいて自分の周りをぐるぐると回遊してるんです。想像していたよりも、水俣湾は生き生きしていて生命がいっぱいだった。そのとき水から上がって仲間にかけた私の第一声は“絶対この海を撮り続ける!”でした。確信めいたものがありましたね。
その後は毎週水俣湾に通い、夢中で潜って撮り続けました。2年後の1997年に仕切り網が撤去され、水俣にとって大きな転機になったわけですが、私はというと撮るうえで悩んでしまった。網がなくなった海でどうやって水俣を表現していけばいいのかと。
そこで、漁港を訪ねたり、関係者に話を聞いてみることにしたんです。ちょっとずつ人とのつながりができ、彼らを撮らせてもらうようになりました。苦しみながらも海を再生させようとする人たちとふれ合っていくうちに、私の認識も深まっていきました。
写真をまとめていて思うのは、水俣を伝えるときに人に向かうことは不可欠だったということ。辛い過去も今のきれいな水俣も、人と海のつながりがつくったことなんですよね。過酷な環境を乗り越えて子孫を残してきた、命をつないできた。それは水の中の魚も、陸の人間も同じなんです。
私のお気に入りの1枚に、海藻の森を撮ったカットがあります。これは漁協の人たちが海藻を養殖して、立派に繁茂するようになった海の姿です。この景色を見たとき“生き物が帰ってくるな”と実感しました。これから水俣が楽しみだと思えた、希望の象徴です。これはプライベートラボをお借りしてB1とか、大判にプリントしようと思っています。
昔から水俣というと暗いイメージがあって、そこでみんなストップしている。だから今の水俣の姿、海の中と生きている人たちの姿を1人でも多くの人に見ていただきたいですね」