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出身:愛知県
生年月日:1953年2月23日
身長:165cm 体重:60kg 血液型:B型
経歴およびチーム参戦歴 | |
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2024年 | スーパーフォーミュラは、山本尚貴選手、佐藤蓮選手を起用 SUPER GTは、伊沢拓也選手、大草りき選手を起用。 |
2023年 | スーパーフォーミュラは、山本尚貴選手、佐藤蓮選手を起用 SUPER GTは、伊沢拓也選手、太田格之進選手を起用。 |
2022年2021年 | スーパーフォーミュラは、山本尚貴選手、大湯都史樹選手を起用 SUPER GTは、伊沢拓也選手、大津弘樹選手を起用。 |
2020年 | スーパーフォーミュラは、牧野任佑選手、大湯都史樹選手を起用。 SUPER GTは、伊沢拓也選手、大津弘樹選手を起用。 |
2019年 | スーパーフォーミュラーは、アレックス・パロウ選手、牧野任祐選手を起用。 SUPER GTは、ナレイン・カーティケヤン選手、牧野任祐選手を起用。 |
2018年 | スーパーフォーミュラは、ナレイン・カーティケヤン選手、伊沢拓也選手を起用。 SUPER GTは、ベルトラン・バゲット選手、松浦孝亮選手を起用。 |
2017年 | スーパーフォーミュラは、中嶋大祐選手、ナレイン・カーティケヤン選手を起用。 SUPER GTは、ベルトラン・バゲット選手、松浦孝亮選手を起用。 第6戦 最後の鈴鹿1,000kmレースで優勝を飾る。 |
2016年2015年 | スーパーフォーミュラ、SUPER GTともにドライバーとして中嶋大祐選手、ベルトラン・バゲット選手を起用。 |
2014年 | スーパーフォーミュラは、中嶋大祐選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTはベルトラン・バゲット選手、中嶋大祐選手を起用。 |
2013年 | スーパーフォーミュラは、中嶋大祐選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTは道上龍選手、中嶋大祐選手を起用。 |
2012年 | フォーミュラ・ニッポンは、中嶋大祐選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTは道上龍選手、中山友貴選手を起用。 第7戦オートポリスで2位、第8戦もてぎで3位表彰台獲得。 |
2011年 | フォーミュラ・ニッポンは、中嶋大祐選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTは道上龍選手、中山友貴選手を起用。第4戦菅生で3位表彰台。 |
2010年 | フォーミュラ・ニッポンは、山本尚貴選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTは道上龍選手、中山友貴選手を起用。 |
2009年 | フォーミュラ・ニッポンは、ロイック・デュバル選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTはロイック・デュバル選手、中山友貴選手を起用。 |
2008年 | フォーミュラ・ニッポンは、前年に続きロイック・デュバル選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTは3年目となるロイック・デュバル選手と新たに平中克幸選手を起用。 |
2007年 | フォーミュラ・ニッポンは、ロイック・デュバル選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTでは2006年に続きロイック・デュバル選手と、新たにファビオ・カルボーン選手を起用。SUPER GT100戦目 の富士で優勝を飾るとともに、ドライバーズランキング2位、チームランキングで3位となる。 |
2006年 | フォーミュラ・ニッポンは、ロイック・デュバル選手、武藤英紀選手を起用。 SUPER GTもロイック・デュバル選手、武藤英紀選手を起用。SUPER GT最終戦の富士で優勝を飾った。 |
2005年 | フォーミュラ・ニッポンは3年連続でアンドレ・ロッテラー選手、小暮卓史選手を起用。 SUPER GTは2004年同様アンドレ・ロッテラー選手、松田次生選手を起用。 |
2004年 |
フォーミュラ・ニッポンは前年に続き、小暮卓史選手、アンドレ・ロッテラー選手を起用。 開幕戦で小暮選手が優勝、ロッテラーは2位とワンツーフィニッシュを決めた。 全日本GT選手権は4年目の松田選手と昨年後半ドライブしたロッテラー選手がフル参戦、もてぎでEPSON NSXは初優勝を 飾った。 |
2003年 |
フォーミュラ・ニッポンはチャンピオンナンバー1号車に、02年全日本F3チャンピオン22才の小暮卓史選手、2号車には 英国F3出身で21才のドイツ人、アンドレ・ロッテラー選手を起用。開幕戦でロッテラーは2位入賞、第6戦ではポールポジ ションを奪取。小暮選手も最終戦で2位。 NSXで参戦したGTは3年目となる松田選手と多くの経験を積むために小暮とロッテラーが前後半を交代でドライブ。第7戦 オートポリスでは2位入賞。 |
2002年 |
フォーミュラ・ニッポンはR・ファーマン選手がナンバー1ドライバーとなり、シリーズ4勝を上げ、2年ぶりにチーム& ドライバーズチャンピオンを奪回。 NSXで参戦したGTはR・ファーマン選手/松田次生選手のFNコンビ。開幕戦TIを見事なポール・ツー・フィニッシュで飾り、 第4戦マレーシア・セパンサーキットでもポール・ツー・フィニッシュ。最終戦鈴鹿も優勝しシーズン3勝を上げたが、惜 しくも1ポイント差でチャンピオンを逃す。 |
2001年 |
フォーミュラ・ニッポンはエースには松田次生選手を抜擢し、サポート役にはR.ファーマン選手を起用。最終戦では松田 選手がポールポジション、ファーマン選手は、前回のもてぎラウンドに続いて2連勝。 全日本GT選手権はD.シュワガー選手とフォーミュラ・ニッポンでもエースとして活躍する松田次生選手で新コンビを結成。 開幕戦で3位表彰台をゲット、第5戦もてぎではポールtoフィニッシュ。 |
2000年 | 2年間F1シーンで戦ってきた高木選手がフォーミュラ・ニッポンに再び挑戦、開幕戦の鈴鹿と続くもてぎ第2戦も優勝。 第3戦MINEでルーキーの松田選手が初優勝を決めるなどその後第9戦までNakajima Racingが連勝。2年連続でダブルタイ トルを獲得した。 NSXで参戦する全日本GT選手権は伊藤大輔選手/ドミニク・シュワガー選手の新しいコンビで臨み、第3戦菅生、最終戦 鈴鹿で優勝。 |
1999年 |
フォーミュラ・ニッポンはコロネル選手と光貞秀俊選手が起用され、コロネル選手が3勝、光貞選手も2勝しチームタイト ルを獲得。第10戦鈴鹿ファイナルラウンドにてコロネル選手がドライバーズチャンピオンも決め、チーム念願の初ダブル タイトルを獲得。 NSXでの全日本GT選手権はコロネル選手/山西選手・光貞選手で参戦し、第6戦TIラウンドにてポールtoウィンを達成。 |
1998年 |
前年よりティレル・レーシング・オーガニゼーションのテストドライバーとなっていた高木虎之介選手は、この年F1デビュ ー。市販車をベースにしたレースシリーズは、NSXで全日本GT選手権に参戦開始。ドライバーは、フォーミュラ・ニッポ ンに出場しているコロネル/山西両選手。 |
1997年 | フォーミュラ・ニッポンは高木選手がエースに昇格し、鈴鹿フォーミュラスクールを卒業した山西康司選手が若手ドライ バーとして抜擢される。 |
1996年 |
この年よりF3000シリーズは「フォーミュラ・ニッポン」に改名されメジャースポーツイベントへと発展。参戦した2台 のマシンは前年同様、黒澤/高木両選手がドライブ。 全日本ツーリングカー選手権は、レーシングカーとしてさらに高度な開発を受けたホンダ・アコードにマシンが変更。 ドライバーは引き続き黒澤琢弥選手。 |
1995年 |
F3000は黒澤琢弥選手と、若手育成の一貫として経験の浅い高木虎之介選手を起用。高木選手の成長は著しく、第5戦で 早くも優勝を実現。 ホンダ・シビックフェリオによるツーリングカーは、この年黒澤琢弥選手がドライバーを担当。 |
1993年 | F3000には2台参戦。ドライバーは影山正彦選手とルーキーの檜井保孝選手。 ツーリングカーにはプレリュードで参戦、佐藤浩二選手と、光貞秀俊選手を若手として起用。 |
1992年 | 現役を退いた中嶋悟を核として、新しいチーム活動を開始。 前年にイギリスでレース修業していた中野信治選手をPIAA F3000ドライバーとして起用。全日本F3選手権においても同 選手を出場させる。 またN1耐久シリーズにホンダ・プレリュードで参戦。初出場ながらクラス優勝を獲得。 |
1991年 | FI参戦5年目のこの年をもってレーサー引退 |
1990年 | 参戦4年目のこの年よりティレルに移籍 |
1989年 | オーストラリアGPにおいて雨の中ファステストラップを記録、最高位4位に入賞 |
1988年 | セイコーエプソンが、中嶋個人へのパーソナルスポンサードのみならずチームスポンサーとしてF1に参画。 |
1987年 | F1の名門チーム・ロータスよりF1グランプリにフル参戦、以降3年間ロータスのステアリングを握る。 |
1981年 | HONDAエンジンが供給され、その年の全日本F2/鈴鹿F2両チャンピオンに輝く。 |
1980年 | 全日本F2シリーズ第3位、グランチャンピオンシリーズ13位 |
1979年 | 生沢徹氏のレーシングチームであるi&iに移籍。 国内のF2/グランチャンピオンシリーズを中心に活動、グランチャンピオンではシリーズチャンピン獲得。 |
1978年 | 全日本F3シリーズ第3位、鈴鹿F2シリーズでチャンピオンを獲得。 国内活動に合わせ英国ブランズハッチでのF3に参戦。 |
1977年 | ヒーローズレーシングチームと契約、本格的プロレーシングドライバーとしての道を歩みはじめる。 レースカテゴリF2/FJ1300の2クラスで出場、初年ながらF2ではシリーズ3位、FJではチャンピオンの実績を獲得。 |
1972年 | 19歳でファミリア・クーペのレーシングカー仕様を手に入れサーキットを走り始める。 |