「日本企業は、イノベーションを起こせなくなった」と言われて久しい。国の政策や企業の人事制度を指摘する声もあるが、その一因は学校教育にも遡れるという。
イノベーション人材を育てるには、どのような教育が必要なのか。学校のICT環境を整えるGIGAスクール構想も進むなか、これからの学校はどんな役割を果たすべきなのか。
イノベーション創出を経営学の視点から研究する早稲田大学大学院ビジネススクール教授の入山章栄氏と、グローバル・ティーチャー賞でトップ10に選ばれた(2016年)、工学院大学附属中学校・高等学校ラーニング・マネージャーの高橋一也氏が対談を実施し、その答えを探った。
── 高橋さんは、教育界のノーベル賞とも言われるグローバル・ティーチャー賞の最終候補者に選出されています。高橋さんから見て、日本の学校教育はどのような課題を抱えているのでしょうか?
高橋 「自己決定の機会がない」ことが、一番の課題だと考えています。日本の教育では、先生や親から全部教えられてしまうんです。「ノートはこう取りなさい」から、「あなたの偏差値なら、この学校を目指しなさい」といったことまで。
自分に決定権がないと、生徒が抱くのは「やらされている感」です。だから生徒は、学校の勉強に夢中になれない。心理学の実験でも、「やらされている」感覚があると、人の意欲は削がれてしまうと明らかになっています。
入山 高橋さんのポイントは、非常に納得です。私は企業のイノベーション創出などに興味があるのですが、変化を起こせない企業を見て感じるのは、日本の「正解を求める教育」の弊害です。
これからの時代は変化が激しく、「正解」なんてどこにも存在しないかもしれない。答えが全く見えない中で、それでも「やる」と決めなければいけないのが、ビジネスの世界。イノベーションも、そうやって「決める」「とにかくやる」ことで生まれる。
正解を答える教育しか受けてこなかった人は、答えが見つからない世界では、身動きが取れなくなってしまう。まさにそれが、多くの日本の大企業が今、陥っている問題だと感じます。
── 高橋さんは、先生向けに“授業の教え方”の研修をするラーニングマネージャーの立場ですよね。具体的に、どのような授業を推進しているのでしょうか?
高橋 生徒が主体的に考え発信できる時間を授業に取り入れるよう、先生に指導しています。
僕の専門は英語なのですが、50分間の授業なら、前半20分は文法や単語などの基礎知識を学ぶ時間で、後半30分は習った知識をもとに、生徒が自主的に調べたり発表したりする時間とします。
中学1年生終盤の授業の一例を紹介しましょう。生徒は1年間で習った文法を駆使して、英語で物語を作るプロジェクトに取り組みます。
生徒は図書館へ行き、英語の昔話をレゴブロックを使って表現するのです。さらに、英文の音声をタブレットに録音して提出。グループで役割を決めて、取り組みます。
入山 レゴブロックを使うのは、なぜですか?
高橋 生徒の考えを「見える化」できることが、最大の理由です。
たとえば、生徒に「君の夢を語ってよ」と言っても、恥ずかしがってしまいますよね。そんな時に夢をレゴで表現してもらい、「このレゴの説明をしてよ」と言えば、一生懸命説明してくれます。自分自身のことでないならば、話しやすいんですね。
このように、レゴは自分の考えを表現する道具として、非常に役立ちます。さらにレゴの作品を展示することで、生徒の考えをクラスみんなで共有することもできます。
入山 実は私の周りの経営者の間でも、花を生けたり絵を描いたりする人が増えているんです。その背景に、レゴのお話と通ずるところがあると感じます。
多くの経営者は今、自社が向かうべき方向が分からずに、悩んでいます。今までの成功体験が通用しなくなっているなか、「自分たちはどういう存在なのか」「どんな社会を創りたいのか」が、分からなくなってしまっている。
もちろん経営者の頭の中には、自分の意思や目指す方向性があるんです。ですがその輪郭がはっきりせず、整理できていない。学術的に言えば、暗黙知が形式知化されていないのです。
だからこそ、言葉でなくてもいいから、自分の中の暗黙知を形式知化する必要がある。デザイン思考が注目されるのもそれが理由と理解していますし、加えてそれを表出させる手段が、お花や絵なのだと思うのです。まさに、高橋先生が授業で使うレゴと同じ活用法ですね。
高橋 面白いですね。私がレゴブロックを使うのは、さらに理由があるんです。それは、生徒に「言葉」以外で表現する機会を与えられること。
大人って、言葉をうまく使える生徒を、優秀だと思いがちじゃないですか。でも生徒は、私たちが思っているより、よっぽど多様で。必ずしも言葉にするのがうまくなくても、絵で表現するのが得意な子がいたり、デジタル機器を使えば誰にも負けない、という子もいたりする。
そんな時に、形にするのが得意な生徒はレゴを使って表現して、言葉が得意な子がプレゼンを担当して、互いの得意分野で補い合えば良い。だから私の授業では、グループ活動を多く取り入れて、知識を一緒に構築できるようにしています。
── 高橋さんの授業の特徴として、ICT活用も挙げられると思います。新型コロナウイルスで、多くの学校のICT導入の遅れが話題になりましたが、高橋さんが勤める工学院大学附属中学校・高等学校は、どのように対応したのでしょうか?
高橋 私たちは2015年からICT環境を整えていたので、全く問題なくオンライン授業に移行できました。
コロナがまん延する前から、授業は対面とオンラインのハイブリッドで行っていたんです。授業は対面して教室で行い、その日の授業動画や教材、宿題はオンライン上にアップする。
中学生はタブレット、高校生はノートPCが1人1台配付されているので、問題なく自宅学習に対応できます。Edmodoという、教師と生徒をつなぐSNSも活用しています。
ただ、オンラインだと生徒の集中力を保つのが対面より難しくなるので、「8分以上は説明しない」といったアドバイスを、先生向けにはしていました。
入山 正直、学校や教師って保守的な面があり、外から見ているとなかなか変わりづらいのでは、とも思うのです。その点は、どのように変えていったんですか?
高橋 先生一人ひとりのマインドセットを変えようとするのではなく、環境自体を変えるようにしました。
まず取り組んだのは、廊下の風景。廊下の壁は全部ホワイトボードにして、カラフルな椅子やレゴブロックを置きました。生徒が廊下のホワイトボードを自由に使いながら宿題をしていたり、レゴブロックで友達と何か組み立てていたり、というのは日常の風景です。
職員室のデザインも変えました。全員フラットに話せるようにデスクの配置を変えたり、デスクに物を置かずに教師同士が目を見て話せるようにしたり。教師同士の連絡には、Slackを導入しました。
入山 学校改革には、どれくらいの時間がかかったんですか?
5年ほどかかりました。やはり、時間はかかります。ですが環境を変えれば、まず生徒が反応してくれます。子供の方が、変化への対応は早いですから。そんな生徒を見て、保守的だった先生も、徐々に変わってくれるのです。
入山 学校も企業も結局、一部を変えようとしても難しく、変えたいなら環境や制度全体そのものを変えるしかない、と私も考えています。
その背景にあるのは、「経路依存性」という状態です。経路依存性とは、あるプロセスにおいて、初期の出来事がその後の出来事にも組み込まれて、全体構造を規定してしまう状況のこと。
たとえば歴史の長い大企業には、昔から続く制度や文化があるわけですよね。それらがガッチリ噛み合ってしまっている。だから社会や企業はそれなりに全体で機能するわけですが、他方でよく噛み合っているので、後になって一部分だけ変えようとしても変えられないのです。
分かりやすいのは、「企業内のダイバーシティを増やそう」という例。でもダイバーシティだけ増やそうとしても、変わらないのです。たとえば、まずダイバーシティを増やすためには、多様な人を採用する必要がありますね。
そのためには、新卒一括採用・終身雇用をやめないといけない。ですがそれを実現するには、雇用形態をメンバーシップ型からジョブ型に変える必要が出てきますし、評価制度も多様化させる必要がある。
さらに多様な人が働けるということは、働き方も多様化しないといけない。そこでデジタル化の必要性も出てくるわけです。この例から分かるように、ダイバーシティを増やすこと自体を目的にして、その一部分だけ変えようとしても無理があるんです。全体を変えないといけない。
ただ逆に言えば、僕は今こそ企業が変われる最大のチャンスだと、いろいろな経営者にお話ししています。なぜなら、コロナ禍は世の中の大前提を覆しているから。
今は働き方が急激に変わっているし、リモートでは評価制度も変わるでしょう。デジタル導入も急速に進んでいますよね。これほど強制的に、会社全体の変革を進められる機会は、もう訪れません。
学校教育も、コロナ禍は大きく変わるためのチャンス、と捉えるべきなのかもしれません。
── 生徒の主体性を育てるアクティブラーニングや、ICTが授業に導入されていく時代、先生の役割はどう変わるでしょうか?
高橋 先生は、キュレーターやファシリテーターの役割になっていくと思います。
そもそも優れた教材は、既に世の中にあふれているんです。素晴らしい教育系動画も、たくさんYouTubeにアップされています。
だから先生が必ずしも、1から10まで教える必要はない。それよりも、良い教材やテーマに適した教師を探し、生徒が自分で思考する手助けができる能力が、求められてくると思います。
入山 私も「企業の管理職は、ファシリテーターになるべき」と話しています。
イノベーションは、知と知の新しい組み合わせです。新しいアイディアが出てきた時に、管理職がジャッジする時代では、もうないのです。むしろ、「こんな面白いアイディア出てきたけど、みんなどう思う?」とチームに振れる力。それこそが、管理職に求められてくる能力です。
学校の先生と企業の上司の未来像が似てくるのは、興味深いですね。
── ですが、そもそも学校の先生が忙しすぎる問題がありますよね。アクティブラーニングを取り入れたくても、そんな時間がないという現場も多そうです。
高橋 それこそ、ICTを活用すべきポイントです。授業の無駄を省いて、その分を生徒が主体的に考えられる時間に充てるのです。
私の学校では、エプソンのプロジェクターを全教室に導入しています。たとえば教材を黒板に書き写す作業って、結構時間がかかるんです。ですが教科書をそのままプロジェクターや電子黒板で投写すれば、板書の時間を大幅に節約できる。それで浮いた時間は、グループワークに充てられます。
さらに板書した内容はそのまま録画してYouTubeにアップし、生徒が家で復習できるようにしています。
入山 ICT化とかDXと聞くと、みなさん小難しいことを考えてしまうんです。何かマシンを使ってデータを分析して……というように。
ですが実際は、こういったツールを導入して使いこなせるようになるだけで、大きな変化。最初から先生一人ひとりのマインドセットを変えるのは大変でも、環境から変えていく方法は有効だと思います。
高橋 プロジェクターや電子黒板は、生徒の発表の場でも役に立ちますね。発表は、生徒のアイディアを他の生徒に共有して、考えの幅を広げられる重要な場。タブレットと電子黒板を連動させれば、生徒の画面を大画面で共有することができるので、その機能も活用しています。
学校も先生も大きく変わらなければいけない、大変な時代です。もちろんICT活用は、万能薬ではありません。ですが、変革のファーストステップになると思っています。ツールを使って授業の効率を上げ、より生徒が主体的に学べる環境を作っていきましょう。
(制作:NewsPicks Brand Design、取材・編集:NewsPicks 金井明日香、撮影:後藤渉、デザイン:小鈴キリカ)